無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

等方性と周期性を表す円と球

最初『PINK BLOOD』のミュージック・ビデオを観た時、映像とヒカルの美しさには感銘を受けたものの、イマイチそのテーマというかコンセプトが見えていなかったのだが、週末に銀座の展示会に行ってきて嗚呼なるほどそういうことかと合点がいった。もっとシンプルに考えればいいのか、と。やっぱり現場に行って現物に触れると(いや物理的には接触してませんよ念の為)、見えてくるものが違うんだなと。これも一種の“ライブ”みたいなものなのかもしれない。

気がついたのは、根源となるテーマが「円」と「球」であったということ。ホント、見たまんま。シンプル極まりないけれど、大事なのはそれが空間的な円と球のみならず、時間的なものも指していると気づいた点だ。

空間における円と球とはそのまま二次元と三次元における「等方性」を示す図形である。では、時間における円と球とは何かというと「円環」である。一定時間経つと元に戻るのだ。それを「周期性」という。『PINK BLOOD』MVは、この「等方性」と「周期性」が基本的なコンセプトとなっている。

これに気がついたのは、銀座ソニーパークで延々『PINK BLOOD』がリピート再生され続けていたからだった。何度も再生されて尚且つその力強さを失わない音楽の強さによって、まるでずっと同じ時間を何度も旅をしているかのような錯覚に陥った。

そもそもが、『PINK BLOOD』のサウンドはミニマル的と称されている。若い子たちが言うミニマルが自分の世代で言うミニマル(スティーブ・ライヒとか久石譲とか)と同じかどうかは知らないが、ひとまずそれは反復の音楽であって、周期的な繰り返しで音像を構成し、本来動的でしかない音楽という方法論によって静的な対象を描写したりする試みであった。『PINK BLOOD』には確かに、反復による美が漲っている。それが更にその楽曲自体が反復され続ける空間に50分間居たのだ。感覚も研がれていくというものである。

そうやって感覚が研がれていく中で、その「周期性」が、目の前にある幾つものオブジェやミュージック・ビデオの中の映像と繋がっていった。

まず、空間の中の「等方性」だが、これは幾つもすぐにみつかる。ヒカルが黒のラバーを着て人々に囲まれている場面はいわば「人間万華鏡」とでも言えるアーティスティック・スイミングとなっているが、そもそも万華鏡というカラクリ自体が「円筒」を用いた「周期的図形」の創出を目的としている。そして白いドレスで佇むヒカルを上から見下ろす白い円。あれは監督のインタビューによって月をも象っていると判明したが、同時に月によって生まれる「周期」をも暗示されているそうな。

また、勿論ヒカルが緯線上にロウソクを掲げたオブジェに囲まれているシーンも、球体と周期的な炎の組み合わせであるし、最後、馬が走っている場面も、彼らは円形に疾駆している。

こうやってみてみると、空間図形は等方性をもった円や球、そして、時間的には常に同じ状態に還ってくる周期的な現象(や暗示)によって、このミュージック・ビデオが構成されている事がよくよく見えてくる。それが『PINK BLOOD』のもつミニマル・ミュージック的なコンセプトと呼応し合うことで、このコラボレーションが成立しているのである。

しかし、こうやってよく考えるまでもなく、ヒカルはつやちゃんさんとのインタビューでいつものように

『私は凄く球体を目指したがる人なんですけど。』

と話していたのだし、谷川監督も

「僕のなかでは、宇多田さんはずっと中心にいる人というイメージです。」

なんて風に言っている。ヒカルを中心に据えて、そこに空間的にも時間的にも円形や球形を描いていこうとしていたことは、この時点で読み取っておきたかったなぁ、とちょっと溜息を吐いてしまった。まぁいいや。いずれにせよ自分で気がつけてよかったですわ。