無意識日記々

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『まあ、そんなのお互い様か』

ちょいと話が逸れる。

前から触れているが、『One Last Kiss』の

『まあ、そんなのお互い様か』

は本当に革命的だったなと。沁々痛感している。

その前段は如何にもな宇多田節なのだ。

『寂しくないフリしてた』

は。『フリ』はホントに頻出の単語だからね。再びちらっと並べてみるだけでも

『知らないフリはもう出来ない』(Movin' on without you)

『私を待てずに時計は何も知らないフリしてる』(Parody)

『楽しくないのにフリはしたくない』(Making Love)

『か弱いフリしてめっちゃ強い』(Fight The Blies)

『受け入れてるフリをしていたんだ ずっと』(初恋)

『完璧なフリは腕時計と一緒に外して』(誰にも言わない)

とまぁ次々と。まぁいちばん「フリ」が強いのは意地張って強がってpretender(フリをする人)な『サングラス』なんだけどね。

でも、どれであろうと、ヒカルの歌詞では意地を張ったり強がったりフリをしたりするのは、隠している自分を守る為であって、それをどう曝け出していくか、痛みや苦しみとどう向き合って前に進むかというテーマを扱う時に登場してきた。弱くて壊れやすい脆い心を守ってそれでも強く生きていこうと。それはいわば孤独の源泉ですらあった気がする。私だけなんじゃないかっていうね。

だが、『One Last Kiss』の『まぁそんなのお互い様か』は、それら総てをあっさり乗り越えて「あなたもそうなのかー」と脱力する感じが凄い。意地っ張りや強がりって何だったのか、という。ほんと、今までの宇多田ヒカルの歌詞をまるごと「過去」にしてしまう爆弾級の一言だと思うよ。だって『即ち傷つくことだった』って、過去形なんだもの。

今までも萌芽はあった。『虹色バス』では『Everybody feels the same』と歌っていたし、『俺の彼女』では男と女がそれぞれに本音を隠している狐と狸の化かし合いをしているけれど隠した本音同士をぶつけたらあんたらうまく行くんだよっていう、これはラスキスの『お互い様』を思わせる相互の視点の相対化が行われていた。『フリ』は、自分だけでなく他の人も同じな筈だった。

でも、ラスキスの『まあ、そんなのお互い様か』の『まあ、』は、そういう推測というか、「の筈だ」を揺るぎない結論としての「だよねー」に進化させた感じが強い。なんだかんだ言っても結局はそうなのか、っていう。諦めにも似てるけどもっとこう、あっさり悟った、みたいなサラリ感が恐ろしい。

恐らく、この一言がターニングポイントとなって『My relationship with Myself』というテーマが浮かび上がってきたんだと思う。お互い様なんだから、自分は自分との関係に専念すればいい。どの自分も、それぞれの自分との関係に専念すればいい。そういう肩の力の抜けた所からの最新曲『PINK BLOOD』の作詞観だとすれば、目下ビットクラッシャーなマックと格闘しながら描いている新曲は(そう、まだまだ次の曲作ってるってことですからあのツイートは!)、更にここを推し進めた内容になっているだろう。『PINK BLOOD』はその進化の途上にある楽曲になるのではないか。いや勿論、単体でも楽しませてもらっているけれど、アルバムに収録されたらもっと映える曲になってそうな気がしているのでありますよっと。