無意識日記々

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土曜のインスタライブの「映画っぽさ」

前回も触れた通り、今までと違って一昨昨日のインスタライブは、ヒカルが構成を考えていた点が特筆に値する。

庵野対談では「喪失」をキーワードに自らの作詞とシン・エヴァのストーリーに共通点がある事を指摘した。それに応じて庵野監督も、「詰まる所この物語は喪失をどう受け容れるかの話」といった趣旨の発言をした。これはきっと、作中で主人公の碇シンジが身近な人を喪っていく過程と、我々が四半世紀に亘って続いてきたエヴァンゲリオンの物語と離別し関係を終息させることの両方を重ね合わせたものなのだろう。エヴァQでシンジを観客目線にして「訳が分からないよ」と言わせた庵野監督ならではのアニメとリアルのメタな重ね合わせだったといえる。

ヒカルはその喪失の物語を、更にインスタライブの視聴者までをも巻き込んで語ってみせた。対談が終わった後の二枠目で、母を亡くした質問者の気持ちに誠実に寄り添った言葉を紡いでいったのだ。どうにも、庵野さんとのやりとりの間合いからして、「喪失」というキーワードは対談のどこかで触れておこうと予め決めていた節がある。恐らく、今回のインスタライブの最後(から一つ前。そのあとに目玉焼きにがあるから!)に、件の質問者さんからのツイートを取り上げようと決めていたのだろう。大胆な事を言えば、その人へのパイセンとしての回答の為に、庵野秀明という紛れも無い巨匠を“利用”したのだ。

また、ヒカルの答え方には、その場で考えて出た言葉と、既に自分の中で出来上がっていた言葉の両方が垣間見えていたように思われる。その中でも「喪失を断ち切ってもまた新たな喪失が生まれるだけ」という趣旨の一言には唸らされた。これも恐らくだが、予め考えていた言葉とその場で生まれた言葉のハイブリッドだったような気がするんだ。

つまり、ヒカルは、今回のインスタライブに対してかなり入念な準備をしていたし、その上で生配信中も、その準備の上に胡座をかかず実直にその瞬間々々に心を込めて言葉を紡いでいたのだろう。うむ、気合いが入ってたな。終わった後私も思わず「映画一本観た気分」と呟いたが、それは、こうやってヒカルが全体の構成を企図して生配信を行ったからだった。いやはや、宇多田ヒカルが手間暇かければ生配信もこれだけ分厚い内容になるのだった。見事な手際だったよ。(なんか今夜の俺妙に偉そうだな??なんでだろ??)

まぁ余談になるけれど、そんな人が迂闊や軽率でノンバイナリ云々の発言をする筈が無い。様々な反発や反応も考慮に入っているだろう。引き続き読者の皆様方におきましては、お気に召さぬ言葉の数々も、そよ風に舞う埃のようなつもりで軽やかに避けておいてうただければ幸いに存じます。