無意識日記々

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藤圭子生誕70周年記念日

本日は藤圭子生誕70周年記念日。お誕生日だわね。生きていれば70歳ということか…。

6月インスタライブのハイライトのひとつが、最後の質問である目玉焼きにソ…の、ひとつ前ね(笑)、親しい人を亡くした後の心の動きの話よな。

あそこでヒカルが喪失感のことを「母から貰ったプレゼント」のように思えるようになったというのが、何か劇的だったね。更に、写真を飾れるようになったことで感情にも変化が現れたと。圭子さんとの関係は、お互いの運命が生と死に分かたれた後も動的に変化し続けているんだと。唸ったね。

となると、2018年発表の『嫉妬されるべき人生』に出てくる『母の遺影に供える花を替えながら思う』という歌詞は…部屋に飾る写真と遺影ではまた別なのかな。二歳か三歳のダヌくんが「おばあちゃんかわいい」って言うかどうかもわからんし。今回言っていたのはこの歌詞とは別なのかもしれない。

『One Last Kiss』には『「写真は苦手なんだ」 でもそんなものはいらないわ』という歌詞が出てくる。ヒカルの『私だけのモナリザ』の最右翼候補は圭子さんだろうな。

口調はともかく、「写真は苦手」は如何にも圭子さんが言いそうではある。色々と撮られまくって辟易してそうで。二人とも余り表舞台に立ちたがらない性格なのにステージで歌う運命にあるのがまた。

孫にリアルで「おばあちゃんかわいい」って言われて照れまくる圭子さんの居る世界線を想像すると、あたしみたいな朴念仁ですら涙が出てきそうだが、ヒカルは漸く、そういった風な見方が出来るようになってきたの…かな? 命日に手を合わせるのはやっていそうだが、果たして今日という日を祝っているのだろうか。亡くなったという事実も消えないけれど、藤圭子さんが生まれてきたという事実もまた消えない。それを祝うには今日がいちばん相応しいだろう。孫にも母からの遺伝子が四分の一受け継がれていると思うと不思議な気持ちになってきそう。そういやダヌくんと誕生日が近いはず(正確な日付は未公表)なので、まとめてとか、連続でとか、祝っているかもしれないねぇ。そういう時には遺影とか写真とか、あった方がいいわね。まだまだ圭子さんとの日々は、続いていくのでした。