無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

ヒカルにドクター・ドレーを聴かせた人

今回つやちゃんさんインタビューを読んで「迂闊だったな」と思ったのは、ヒカルがラップ・ミュージックを聴き始めたキッカケに関してだ。こんな風に語っている。

『(当時)母親がヒップホップにはまって。私が11歳~12歳の頃、近所のヒップホップのダンス教室に通い始めたんですね。見に行ったら超真剣で(踊っていて)。すごく時代を先取りする人だったんですよ。「この曲のキックドラムが凄い」とか「ノリが、グルーヴがどうだ」とか語ってて。で、家でそれまで目立ってたSadeとかThe BeatlesとかT-REXとかのCDより、もうCDプレーヤーの近くにDr.Dreの『The Chronic』とSnoop Doggy Doggの『Doggystyle』が並んで、それがめちゃくちゃ流れてて私も好きで聴いてました。その二人がラップでいうと始まりで、その後JAY-Z、Biggie(The Notorious B.I.G.)と。(以下略)』

そう、お母さんの影響だったのだヒカルがヒップホップ/ラップ(最近この並び使うんだっけ?)を知ったのは。

それまでのヒカルは……小学生の頃のヒカルはロック好きだったりしたのだが、それはそういう音楽がとりわけ好みというよりは、まず照實さんの持っていたコレクションが60年代70年代メインで、それこそザ・ビートルズから取り揃えていたのをかなり小さい頃から耳にしていたという点と、ヒカルが小学生だった80年代末期から90年代初頭というのは、普通にロックミュージックがアメリカの商業音楽でいちばん売れていた、という点が大きかったように思う。ビルボードTOP10の半分以上がハード・ロックだった事すらあるのだ。今の「少し昔のオルタナの更に前の音楽」みたいなイメージじゃなく、フツーにホットな音楽だったのよ。なので流行りの音楽を聴いていれば自然にロックに触れるようになっていったのだろう。

そこから中学(って言っていいんかな)に上がる頃にはラップ/ヒップホップやR&B/ソウルがフェイバリットになっていくヒカルだったが、こちらとしてはただ漠然と「90年代半ばのアメリカでローティーンとして過ごしてりゃそうなるか」くらいに捉えていた。それが実は、もっと具体的で明快なキッカケがあった訳だ。圭子さん、お母さんというね。日本で演歌の女王と呼ばれていた人がヒップホップダンス教室通うのは……まぁ特に変わってもないか。美空ひばり八代亜紀なんて演歌のみならずジャズも一流だもんね、藤圭子がソウル・ミュージックの変遷に敏感でもそんなに違和感無いかもしれん。

あたしが「迂闊だったな」と思ったのは「そういやヒカルっていつも周りの人からキッカケ貰って新しい音楽聴き始めてたわ」って事実を思い出したから──つまり、それまでそれを忘れていたからだ。2002年に『嘘みたいなI Love You』を聴いた時「えらい唐突にヘヴィ・ロック出してきたな」と思ったものだが(こないだのファンピク2021でも異彩を放ってましたねー)、後から聞いてみると最近(当時)ナイン・インチ・ネイルズにハマっているという。ほぉ〜、そんなところからと思ったがそれも旦那(当時)の紀里谷和明氏から教えられたものだった。ついでにディス・モータル・コイルなどの4ADサウンドも教えて貰って後年コクトー・ツインズに辿り着くのは皆さんご存知でしょうかな。

最近ではダイレクトに小袋成彬氏からJ.Husを教えて貰ったりしてて、なるほど、そういうのは身近な人からのインプットが多いのね〜とは思ってたけど、ドクター・ドレースヌープ・ドッグが圭子さんからのってのは、ほんと想定外だった。消去法でいってたら辿り着いたかな……。……ん? 照實さんからの可能性もあった? いや彼だとギャングスタ・ラップになっちゃわないですかね若い頃の見た目的に……(怒られてきなさい)。

まぁそんな切り口からつやちゃんさんインタビューが進んでいくわけですが……ってこんなペースで読み込んでたらオリンピック終わってもまだPart 1読んでんじゃねーか? なんとか巻いていきますよぅ。