無意識日記々

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「ひそめる」と「しかめる」が同じ漢字なのどうなん?

トレボヘ最終回の書き起こしを読みながら(ほんと書き起こし作業に従事してくれた皆さんには頭が下がる。ありがたや。)、昨今のコンプライアンスからしたらこれはどうなんだろうなぁと益体のない事を考える。

いやね、その最終回のラストでヒカルが自分のスリーサイズを駆け抜けるような速さでさり気なく呟くんですよ。当時はバカウケだったんですが、今でもこれはセーフだよなぁ? 自分で自分のを暴露してるだけなんだし。

でも、風向きとしては少し危うくなっていくような気がしなくもない。スリーサイズは単なる体側数値で、身長や靴のサイズ服のサイズを言うのと本来なら変わりはない筈なのだけれど、ひとまず現実として、性的な価値を推計する為の指標として捉える人が多い。だからそれを自分から言うのがギャグになったのだけど、20世紀だから出来ることだったと後に懐古されることになるのかな。

更にもっと時代が進んで、体側値の価値が相対化され特に意味をなさなくなった時代が訪れたら逆にどうということはない状況になるかもしれないけどね。男女差別がある中ではどうしたって是正措置期間(アファーマティブ・アクション・エラ)が必要とされる。この間触れた「私は差別と黒人が嫌いだ」フレーズも、黒人差別が無くなればただの好みの吐露になる。まぁ、暫くはそんな事になる見込みは無いので、引き続きそういった発言は禁忌であり続けるだろうが。

そんな事をよく考えるので、前から触れてる通り特にヒカルの初期の発言を取り上げるのには次第に慎重になっている。発言だけではなく、例えば「NintendoDS」のCMに出演した時の「触ってみてもいいですかぁ?」の赤い衣装は、当時もある程度話題にはなったが、今取り上げたら眉を顰(ひそ)めるor顔を顰(しか)める人がある程度出てくるかもしれない。『Easy Breezy』の水着姿とかどうなんだろうなぁ……。

もっと時代が下れば、「平成時代は野蛮だった」とひとくくりにされてリアルな批評対象にはならなくなるかもしれない。戦国時代について「この頃は人の首が簡単に飛んだ」事を指して「恐ろしい」とは言えど「けしからん」とは言わないのと似た感覚で。ただ、今はまだ1990年代とか00年代とかは心境的に近い。それくらいの過去の発言が槍玉に上がって今干されるのは、東京五輪の周りで幾つもあった気がする。

ヒカルがファンクラブとか会員限定とかのクローズドなスタイルを取りたがらないタイプな為、どうしても不特定多数を考慮した活動をせざるを得ない。今はまだ表立っていないが、イスラム圏にもファンが在るかもしれない中でどんなプロモーションをしていくか。そもそも地球上には「音楽禁止」という思想があるのだと、この度のアフガニスタン情勢のニュースに触れて知った人も多いかと思う。世界的に支持を集めるミュージシャンが国内のコンプライアンスに引っ掛かってる場合でもないのだ。

次のアルバムで英語歌詞の曲が収録されるというのは、歌詞が国際的に吟味される機会を与える事でもある。Utada Hikaruの言葉が、厳しい査定に晒される。20年以上前の過去の発言についてはそうそう掘り起こされる事はないかもしれないが、あんまり迂闊に引用し過ぎるのは危ういかな。特に今はTwitterに翻訳機能がついたので、過去の発言をTwitterで引用する時は気をつけるようにしたい。画像にして投稿しておく位でちょうどいいんでないかなぁ……。(まだまだ悩みます)