無意識日記々

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聞かせたかったけど歌えなかった歌

今日は藤圭子/宇多田純子さんを追悼する色合いが濃い『Fantôme』の、発売5周年記念日。もうこの歳になると5年って何だっけ?という感じで時の流れの早い遅いがわからなくなるのだが、ヒカルの愛息が6歳になってますよと言われたら、ほえぇってなるわね。でも、それくらいだわなぁ。

この作品でどれだけお母様圭子さんを追悼出来たかというと、まだ遺影を飾るのに抵抗があったりして、長引いてるというより、そういう感情と共に生きていくのに慣れるという感じなのだろうかなと。となれば、『Fantôme』は作って終わりの過去のアルバムにはなり得ない。またコンサートで常に「今の歌」として歌い継がれていく事になる。

『Laughter In The Dark Tour 2018』で歌われた『Fantôme』収録曲は『道』『俺の彼女』『花束を君に』『ともだち』『真夏の通り雨』の5曲。更にそれに加えて『30代はほどほど。』では『人魚』と『忘却』も披露されている。「NHK SONGS」では『ともだち』『花束を君に』『道』を歌ったし、「NEWS ZERO」では『真夏の通り雨』を、「紅白歌合戦」では『花束を君に』をそれぞれパフォームしている。のちにではあるがMステスペシャルで『桜流し(TV EDIT)』も歌った。特別なアルバムではあるけれど、じゃあ他のアルバムが特別ではないかというと全くそんなことはなく、しかしてその向き合い方はいつもと変わらない気がする。

真夏の通り雨』のような強烈な歌は、生で歌えるようになるかどうかというのが焦点だった。というのも、2010年の『WILD LIFE』で母を思って作った『嵐の女神』を歌わなかったからだ。ただ歌わないだけなら選曲から漏れただけかなとなったのだけど、終演後すかさず場内でこの歌のCD音源を流すものだから「嗚呼、聞かせたかったけれど歌えなかったんだな」という解釈をした。真実はわからないが。歌入れの時に足が震えたというのも、『嵐の女神』のことだったのだろうと推測をした。

母を思う歌はそれだけ思い入れがあり、故に人前で歌うとなるとどうなるのかと思っていたが、『Fantôme』の収録曲は、ある意味いつも通りの“扱い”を受けている。それは克服というより、どちらかというと、こういった感情を抱えたままでそれでも過ごしていくというような、そんな向き合われ方になった。本人は『こんな作品、二度と作れねーよ』と言ってはいるが、ステージの上で歌う度に歌は“再生”される。また再び創られるのだ。来年以降に催されるライブ・コンサートでの『Fantôme』収録曲のパフォーマンスがどう変わっていき、また、どう変わらないか、それを楽しみにしておりますですよ。そしていつか、『嵐の女神』を人前で歌える時が、来るのかな。