無意識日記々

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ビートたけしと演歌と来世とデ・ジャヴ

今日の【今日は何の日宇多田ヒカル】のネタは私がすっかり忘れていたメッセの話。「ともだちが“ビートたけし〜♪”と歌う夢を見た」なんてヒカルが書いていた。その18年後にヒカルがライブで『ビートたけしが』って実際に歌ったんだからこれはちょっと捻った正夢の類だったんだなと。

昔からヒカルは予言気質があって、ラジオ番組『トレビアン・ボヘミアン』では「結婚するなら映像作家かイタリア人」(※大分端折りました)と発言し、なんと両方どちらともと結婚してしまうという大胆な結果をみせた。当時の口調からしたら本気だったのか冗談だったのかよくわからないが、ヒカルは口に出したら叶う体質なのだ。

もしそれを見抜いた上でお母様であらせられる藤圭子さんがヒカルに演歌を歌わせなかったというなら慧眼中の慧眼だろう。演歌の歌詞は不幸まみれな為歌い続けると自分まで不幸になると言ってヒカルを演歌から遠ざけた。まぁ、慧眼が届かなかった所があるとすれば、自分が死んだらヒカルが不幸のどん底に叩き落とされる事に対して執着し切れなかった点になるがそれももう過ぎた話だ。

『君に夢中』では、

『来世でもきっと出会う

 科学的にいつか証明される』

という歌詞が出てくる。KODOMO新聞で語った死生観そのままを歌詞にしたかのような一節だ。恐らく、確信があるのだろう。我々が生きている間にかどうかはわからないが、輪廻転生と呼ばれる現象が科学的に解明される日が実際にやってくるのだ。ヒカルの予言体質を考えれば、これはかなり確度が高い。

ドラマ「最愛」では、一定時間記憶を失って行動する(と思われる)家族の話が軸となっている。原因は、弟クンに限っていえば「頭部外傷による糜爛性軸索損傷」、つまり頭の怪我だそうで、精神的ストレスを主な原因とする乖離性同一症、所謂多重人格とは別物なのだが、記憶の断絶とその間別人格的性格の人間が行動するという現象面に於いては相似の様相を呈している。そういったテーマを扱うドラマに『来世』と『deja-vu』(既視感)といったキーワードを盛り込んできたのはヒカルの確信的な作詞だろう。嘗て何度か触れてきたように、ひとつの肉体に二つ以上の魂が宿るのが多重人格である一方、ひとつの魂が二つ以上の肉体に宿っていくのが輪廻転生なのだからこの二つは常に表裏一体の関係にある。そこに「deja-vu」という、経験と記憶の秘奥についての単語を絡ませてきたというのは、言い方は悪いが、ドラマを叩き台にしてヒカルの歌詞世界観が更にまた一歩を踏み出してきている予感を抱かされる。ただ、歌詞というのは、『真夏の通り雨』で痛感したように、たった一言が加わるだけでまるでオセロの終盤のようにガラリとその意味を変えていくものだ。やっぱりそこはフルコーラス聴いてから色々と判断したいね。