無意識日記々

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『BADモード』をモノラルで聴いてみた

アルバム『BADモード』はSkrillex&Pooh Bear/小袋成彬/A.G.Cook/Floating Pointsといった強力な共同制作陣による最新鋭のサウンド・メイキングが話題になりがちだ。特にそれを際立たせるミキシングの技術は、ハイレゾや空間オーディオへ至ろうという昨今の機運の高まりと連動して過去最高のクォリティを誇っている。

となってくると、アルバムの評価の内一体どれほどが彼らの仕事に依っているのか?というのが気になった。ので早速いつものようにモノラルで聴いてみることにした。Spotifyでも「アプリ内設定>再生>モノラルオーディオ」でモノラル再生できるのね。iPhone等のiOSには「設定>アクセシビリティ>モノラルオーディオ」という項目がある。例えば片耳で聴く人に左右両方のイヤホンから鳴る音を1個のイヤホンで聴かせられるってことだね。それはさておき。

結論から言うと、ハイレゾステレオで聴いた時と、圧縮音源モノラルで聴いたときのアルバムの印象&迫力は殆ど変わらなかった。過去最高にスペイシャルな、空間的なオーディオ・ミックスとなっていて様々な電子音と生演奏が飛び交う凝りに凝りまくったこのアルバムのサウンドプロダクションってそこまで作品の評価に影響していなかった。それほどまでに──いやもう言うの当たり前過ぎるんだけどそういう当たり前のことを73分間かけて再確認したんですよ──、宇多田ヒカルがその豪華な音像のど真ん中で披露し続けるヴォーカルの説得力が圧倒的だった。いやもうそのまんまですよ、圧倒されました。

昨今、先程から述べているように、SONYの360RやAppleドルビーアトモスなど、「空間オーディオ」と呼ばれる分野がリスナーにも訴求し始めている。それまでのステレオが左右への音像の拡がりだったのが、これからは上下左右前後に拡がるようになり、まるでリスナーが音楽の取り囲まれるような体験が出来るようになる、と。

そういうのが宇多田ヒカルで実現したら素敵!という声と同じくらい、えぇ、なんかまた新しいの出てくるの、よくわかんないな、また機械を買い増さなくちゃいけないの?と面倒がる人も多いような気がする。確かに、億劫な面もあるだろう。(実際には360Rもドルビーアトモスも新しい機材は出来るだけ不要になるようアプリレベルで工夫しているんだけども)

だが、そういう心配や不安は無用杞憂といえるなぁと、心底そう思った。ヒカルの歌が聞こえるスピーカー1個、片耳イヤホン1つあれば十分なのだ。このヴォーカルがあれば『BADモード』アルバムの魅力の98パーセント位は堪能できる。99パーセント堪能したい人はステレオで、99.5パーセント堪能したい人はハイレゾロスレスでどうぞ。100パーセント以上はライブ生演奏完全再現をその場で体験、ですかね。

なので、新しい機械とかアプリとかシステムとかなんとかいうのは気にしなくていい。手持ちのスマホなどでいつも通り聴いてくれれば十分なのだ今回の作品も。

ただ、モノラルであっても彼ら共同制作陣の編曲術には目を見張る耳を惹くものが多々あった事は記しておかねばなるまい。モノラルで聴くと、空間的に配置されていた時には余り意識していなかったのだが、意外にオーソドックスに基本に忠実なアレンジが主軸になっていることがわかった。しっかりとボトムを支える楽曲毎に独自なリズムパターンや、メインヴォーカルを脇から支える伴奏の堅実さなど、なるほどこれは5ピースくらいのバンド編成で演奏してもかなりいい感じに聴かせられるようになっているんだなと。完全再現を目指せば鍵盤楽器奏者4人同時投入みたいな事態にはなっちゃうけどね。楽曲の骨組みそのものは意外にシンプルで堅実だった。

ともすればそのサウンドの新鮮さや時代性に耳を奪われがちになり、故にスクリレックスの聴き慣れた手法を時代遅れだと揶揄する声なんかも上がってくるのだろうが、実際のアルバム全体のサウンドはどの時代でも通じる普遍的な骨格を形成している。今は今でその新しさを楽しむとして、長い目で見れば『BADモード』アルバムはいつの時代でもインパクトを与えられるタイムレスな名盤なんだなと、サウンドの拡がりに頼れないモノラルでの14曲を聴き終えて思ったのでありましたとさ。当たり前じゃないかって? いや、うん、繰り返すけど、全く以てそうですよ!