『Find Love』の歌詞が『キレイな人(Find Love)』の自己肯定感に較べてやや受け身になっているのはどういうことなのか、という話。
ここで、先日引用した『光』&『Simple And Clean』の歌詞をもう一度振り返ってみよう。
『光』では
『家族にも紹介するよ
きっとうまくいくよ』
と歌っている一方で『Simple And Clean』では
『Don't get me wrong I love you
But does that mean I have to meet your father ?』
訳すと
『誤解しないで、君のことは愛しているよ
でもだからって僕が君のお父さんに会わなきゃいけないのかな?』
と歌っている、という話だった(長くこの日記書いてるけど本文コピペするの凄く珍しいな。どうでもいいけど。)。男と女でも何でもいいけど、親密な2人の間で結婚観が食い違ってる、みたいなことをひとつの楽曲の日本語バージョンと英語バージョンの2つに渡って表現するという新婚さん前後のシンガーソングライターとしては余りにもチャレンジングな書き分けをしたのがこのコンビ曲だった。国際カップル?国際結婚?とかって解釈してもよいよね。
これと同じ事が、『Find Love』と『キレイな人(Find Love)』でも行われているのではないだろうか。
勘のいい人は薄々感づいていたかもしれない。つまり、
「私の幸せを決めるのは王子様じゃない。私自身だ。」
と言い切るアンチ・シンデレラ・モチーフなお姫様が主役なのが『キレイな人(Find Love)』なら、そのお姫様に要らない扱いされてしまった王子様の方の心境を歌ったのが『Find Love』なのではないか、と。
そう捉えて冒頭の歌詞を聴き直すと味わい深い。
『Though I took whatever came my way』
なんて特に。「私の道に来たモノはなんであれ手に取った」って、いやま確かに王子様なら引く手数多、つまみ食いし放題だろうけどあんたそれっていくらなんでも…というわけで、
『Now I'm paying for it now, baby』
「今やそのツケを払っている」、と。いやでもベイベーちゃんはちゃんと隣に居るのね。まぁそれはさておき、王子様なら前回と前々回でみた妙に受け身な姿勢も納得なのである。もう王子様がやってくるのを待たず自分で自分の幸せを掴みに行った『キレイな人(Find Love)』のお姫様の後ろ姿を横目に
『But I don't wanna see them go』
即ち
「でも彼女たちが去るのを見たくはないんだ」
と呟いてるかと思うと、いやはや、『Simple And Clean』で家族にも紹介するよと言われてアタフタしてたアイツも情けなかったけど、こちらの王子様も負けず劣らず情けないな、と妙に感心せずにはいられない。
そうなのだ、ヒカルがノンバイナリ発言をしたタイミングで注目を集めてたのが『Find Love』なのだから、そういう、『光』&『Simple And Clean』や『俺の彼女』みたいに、男と女を股に掛けた歌詞世界を提示してくるのは作詞家宇多田ヒカルとしてはかなり必然だったんじゃないですかね。作詞したタイミングは兎も角として。全く、20年前からよく出来ているし、近年ますます進化しているなヒカルの作詞術は。
んまーでもそれは『キレイな人(Find Love)』と『Find Love』の歌詞世界の一部でしかない。もっと言えばそれぞれの1番の歌詞でしかない。2番以降は更に入り組んだ構成になっているのでまた機会があったら解説に挑戦してみることに致しますわね。
追記:前回、
『Well I don't wanna lead them on』
の訳を
「僕が引っ張ってきた訳でもない癖に」
と訳したのだがここは解説が必要だった。というのも、"lead them on"という熟語は、辞書を引けば載っている通り「けしかける」とか「その気にさせる」とかいう意味があって、この歌での意味もそれそのものなのだ。「いや別に僕はその気にさせたかった訳じゃないよ?」みたいな。しかし、もしそう訳したら性別が出てしまうというか、なんとなく性的な意味ばかり出てしまいそうだったので少し性や恋愛から離れたフラットな「引っ張る」(leadの本来の意味だわね)という言い回しにさせて貰った。今回種明かししたので次からは普通に訳しますわね。