無意識日記々

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王子様も見つけたい

で、前に『Simple And Clean』のBメロの歌詞がお母さんのものだったのではないかとコメントをうただいた時にも触れたように、歌詞の一部がヒカルの実体験に基づくものだからといって、じゃあ歌全体がヒカルの実体験の話なのかというとそれは違う訳でね。自分の経験もフィクションもニュースも、どれも「歌詞の素材のひとつ」でしかなく、それらを換骨奪胎・抽象捨象してひとつの「歌詞の世界」を創り出していくのが宇多田ヒカルの遣り方であろう。ただ、例外として、『気分じゃないの(Not In The Mood)』に関してだけは、歌詞の殆どの部分が「2021年12月28日にヒカルが実際に見聞きしたこと」で構成されていて、確かにコレは異様に特殊なケースだ。今後は、わからないけどね。

なので、『Find Love』の1番2番の歌詞のAメロ冒頭がヒカルの実体験に基づいているからといって、この歌がヒカルの独白であるとは限らない。

…という注釈を敢えて述べる必要があったのは、その1番Aメロの歌詞、

『Some days my heart feels miles away

My body isn't listening

Though I took whatever came my way

I'm paying for it now, baby』

の後半について以前に「王子様の御無体」として解説していたから、ですわね。

ここで「王子様」と書いているのは、『キレイな人(Find Love)』の歌詞の主人公が「王子様が要らなくなったシンデレラ」だからだ。王子様が要らなくなってさてどうやって力強く生きていこうか?という葛藤の話が『キレイな人(Find Love)』ならば、じゃあそこで要らないって言われてしまった方はどうなる?というのが『Find Love』なので、その対比を意識した場合その主人公は「王子様」と呼ぶのが妥当だろう、と。

なので、そのセンに沿って、ここの歌詞をヒカルの実体験から抽象的に読み替える必要が出てくる。『俺の彼女』は擬似ミュージカル仕立てだったのでそれがヒカルの実体験や独白でないことは伝わりやすかったが、『Simple And Clean』やこの『Find Love』は、ヒカルの経験などを素材にしつつも“より一般的な”“普遍性のある”歌詞世界を描いている。

だから、ここの冒頭の

「心が果てしなく遠くに感じる事がある

 身体も言うことを聞かない」

も、Bメロで「みんなが去るのを見たくない、だって一人になりたくないもの」と呟く仮称・王子様のセリフとして読み替える事が必要になる。

ここまで納得して貰えれば、

『Do I dare be vulnerable?』

「それでも弱さをみせられる?」

の歌詞の意味するところが少しずつ明白になるだろう。王子様は自分の「本音」を「弱み」だと捉えており、「本音」=「弱み」を隠し続けてきた為、最終的には心も身体もバラバラになってしまったというのが、ここでの話の流れになる。よって、『Find Love』は、

「もし弱さを"見せてしまったら"一人になってしまうから」

「もし弱さを"見せられなかったら"一人になってしまうから」

の相対する解釈2つについて

「前者の不安が後者の不安に変化していくだろう只中の心境」

を綴った歌なのだ。

「今まで本音を隠して生きてきたけど

 いきつくとこまで来てしまった

 これからどうしたらいいんだろう?

 弱さをみせていくべきなのかな?」

というね。どちらに転んでも一人になってしまうかもしれないという葛藤が、そこにはあるのだった。   

これが『キレイな人(Find Love)』の方になるとまた違ってくる─という話からまた次回、かな?