さてNetflix版で新しく明らかになった『Find Love』と『Face My Fears (English Version)』のヒカルによる日本語版歌詞についても少しずつ触れていきましょうかね。
やっぱ最初に触れるのは『Find Love』のここかなー。
『But I don't wanna be alone
Everyday of my life』
んとこを
『だって一人でいるのも好きだけど
毎日はイヤ、毎日はイヤ』
って訳したとこ。大胆!
いやぁほんと、これ本人でないと無理じゃね? いやま、プロの人なら出来るのかな。ぱっと見、真逆だもんねぇ。
『But I don't wanna be alone』
だけに限れば直訳は
「でも、私は一人でいたくありません」
になる。これからヒカルの
『だって一人でいるのも好きだけど』
を持ってくるには、次の「everyday of my life」をしっかり組み込むことが必須なのよね。あたしはなんて訳してたっけな? 多分、
「でも一人ではいたくない
毎日のことだから」
みたいに訳したかなと思う。確かに、冷静にヒカルの訳と比較すれば、大体同じ意味になるのよなぁ。(ベン図でも書いてみればいい)
「毎日一人だと流石にヤだ」
っていうことなのよね。うん。でもそれから『一人でいるのも好き』っていうとこまで踏み込んだ言い方をするとこが大胆。少し砕いて、
「毎日でないのなら、
たまには一人で過ごすのも悪くない」
くらいまでが限界かなぁ。論理的に言えばこれの裏をとると
「毎日なら、
一人で過ごすのは悪い」
になるもんね。うぅむ、いや、確かに書き下してみるとそうなんだけど、あたしにはここまでする勇気は無かったわ。
ヒカル本人による日本語訳のひとつの特徴がここにひとつ表れてる。文章そのものというより、そもそもこの歌詞を書いた時の気持ちまで立ち返ってその気持ちをそのまま書くというか、「この歌詞はこういつもりで書いたんですよ」ということを、訳としてそのまま書きやがる。確かに、本人にしか出来んわね。
でも、今回のこれは、確かにそういう側面もあるものの、論理的に考えれば、『Everyday of my life』を含むことで文章が「全称命題」になって、その否定文(『I DON'T wanna be alone』)だから、『毎日はイヤ」という身も蓋もない書き方は、結構冷徹冷静に論理的に導き出せる。もっと言えば、書いてる時の作詞者の気持ちなんて全く考えなくてもこう書ける。なので、とても不思議な日本語訳だ。ヒカルは、英語の歌詞を書いた時の自分の気持ちを尊重したのかしてなかったのか…。わからなかったよ。
…今回の日記は難解だな。学校で論理学を習ってないと理解は難しいわ。ただシンプルに、
『Everyday of my life
Everyday of my life』
って歌ってる時に字幕で
『毎日はイヤ
毎日はイヤ』
って出て来るけど、『イヤ』はどこから来たの? って疑問を持つ人が多発するだろうけどそれはその前の文章の
『But I don't wanna be alone』
の『don't』と組み合わせてるからだよ、ということだけ、踏まえておいて貰えれば、いいかな。いや、ますますわかりにくいな。ほんと、この訳はヒカルさん、悩ましいですわ。見事だけどね。