無意識日記々

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わっかばっかなうた

さて。『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』はFloating Pointsことサム・シェパードとヒカルの共作だ。アルバム『BADモード』では他に小袋成彬やA.G.クックと共作しているが、

このマルセイユと比較したいのはA.G.クックとの『One Last Kiss』である。

『One Last Kiss』の曲構成は、前に書いたとおり、

「前半がヒカルのプロデュースで、

 後半がA.G.クックのプロデュース。」

というのが私の見立てである。なので『One Last Kiss』は前半がオリジナル・バージョンで後半がリミックスのような、そんな独特なつくりになっていた。

『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』も同じではないかと踏んでいる。つまり、この曲も前半はヒカルが主導して作り、後半はサムが主に手掛けたのではないだろうか。単純に、5分半を過ぎた辺りから新しいヴォーカル・パートが出て来ないのだ。歌が出て来ても基本的に前半で既出のものの使い回しである。ヒカルのトークによれば、二人でパソコンを突き合わせて作った感じらしいので後半を丸ごとサムに投げたとかではなさそうだが、“主導”という意味ではサムが引っ張っていった気がする。

なのでそういう作り方から2つの曲はよく似た感触を与えてくれるのだが、しかし一点、『One Last Kiss』と『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』には異なる点がある。『One Last Kiss』は後半散々リミックス的な展開をした後に、

『吹いていった風の後を

 追いかけた 眩しい午後』

というエピローグがしっかりとヒカルによって歌われていた。これはこの楽曲の終局部であり、謂わば辿り着いた先の境地である。

しかし、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』にはそういったパートはない。最後はひたすら

『I'm gonna give it to you

 I'll get a room with a view』

というパートを繰り返して終わるのみなのだ。しかも、その歌すら途切れたアウトロが何処に着地するかというと楽曲の1番最初、イントロと同じサウンドとフレーズなのである。どこか遠くの境地に辿り着くようなことはなく、元の所に戻ってしまうのだ。(故にこの曲は1曲リピートと大変相性がいい)。

つまり、この曲って、12分近く楽曲を展開し続けた挙げ句に何処に辿り着くかといえばスタート地点に戻るだけなのだった。これが、一応の完結をみる『One Last Kiss』とは大きく違う点なのである。

『One Last Kiss』は、四半世紀続いたエヴァンゲリオンシリーズを終わらせる使命を与えられた「シン・エヴァンゲリオン劇場版𝄇」の、その最後の最後を飾る1曲なので(更にダカーポもあるが)、その曲が「初めに戻る」という終わり方をする訳にはいかなかった。何らかの決着をつける必要があった。そうやって描いたヒカルのこのエピローグの歌詞は、見事にエヴァのラストシーンを言い当てていた。

一方、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』にはそういった使命やなんやかんやはない。その気楽さこそがこのトラックの魅力の一つなので、このように結論を出さず、また最初に戻って延々この世界を飽きるまで楽しんで、という終わり方もまた出来る訳なのである。そんななので、そのコンセプトをヴィジュアル化すれば「円環」になるだろうね。ここらへんがカルティエ・トリニティとの相性の良さの一端でもあると思うのだがどうだろうか。指輪とか腕輪とか、輪っかばっかだからねぇあのムービーはw