無意識日記々

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メビウスの輪が本音と建前を入れ換えるその前に。

で、えっと何の話してるとこなんだったっけ?(笑) 明後日のテレビ出演に気を取られていろんな話を放置してるな。いやそれはテレビ出演があろうがなかろうがいつも通りか私の場合。次々と「俺たちの冒険はこれからだ!」で打ち切られていった短命なジャンプ漫画の数々が思い浮かぶな…「ジョジョの奇妙な冒険」だってあれ完全に全19話(半年足らず)で打ち切り予定だったろうに、すんでの所で回避して30年以上続いてるんですから人生分からんもんなんですけど。

話が逸れた。どこから行こうかな。『Give Me A Reason』から行くか。まだ聴いたことない人はサブスクにでも行ってここ読む前に聴いといとくれ。

先に言ってしまうと、宇多田ヒカルの歌の歌詞は全般的に大体『Give Me A Reason』との繋がりで語られてしまえる。それくらいこの曲はヒカルの歌詞の持つ思想や哲学が端的に託されている。

そんなエキスの塊ともいえるこの歌の更に軸となるのがこの2行。

『Give me a reason to love you』

『ほんとはワケなんて要らない』

別にshow youの方でもよかったんだけどここ繰り返しまくるので聴いてるとゲシュタルト崩壊しちゃうんで避けた。love youの方だと「あなたを愛する理由を下さい」になる。そう言っておいて歌の最後で「ほんとはワケ(=reason)なんて要らない」と卓袱台を引っ繰り返すのが如何にもヒカルらしいのであります。

卓袱台というと星一徹ちっくだが(そうか?)、ヒカルが小6の時に書いたあの俳句を思い出してみよう。

「雪だるま 一緒に作ろう 溶けるけど」

これ、同じ哲学なのよね。散々工夫して積み立て組み立て上げた挙げ句の最後になかったことになる、する。世の中そういうもんだ、みたいな纏め方はヒカルは好きじゃないかもだけど、物事の見方としてはそういうこと。

これを参考にすると、『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』の冒頭に出てくる

『Give me something strong enough』

ってフレーズ、実は『something strong』は「本当に欲しかったもの」ではない、という解釈をする所から出発するのが宇多田ヒカルの歌詞の読み取り方の定石になるのよ。で、マルセイユの特徴的なポイントは、本来なら『Give Me A Reason』でいえばその『ほんとはワケなんて要らない』にあたる、紆余曲折を経て辿り着いた本音という名の結論が楽曲中に明示されていないことなのよね。『Be My Last』でいえば『今夜一時間会いたい』、『光』でいえば『テレビ消して私のことだけを観ていてよ』、『BADモード』でいえば『Hope I don't fuck it up again/もうヘマはやらかさない』、みたいな「最終的に言いたいこと」がない。何故この曲が12分近くもあるかというと、それが無いからなんだ。結論がないから、どこまでも続けていってしまえるんだ。

これをヒカルの変化とみるべきかは難しい。サム・シェパードにいっぺん任せてみよう、ってだけのことだったのかもしれない。しかし、もしこれもヒカルの意図だったとするならば、いつもヒカルが最後に卓袱台を引っ繰り返したり、今までの建前を脱ぎ捨てて本音をぶちまけることで総てを壊したりするのを、なぜか躊躇った、という風にも取れる。この楽しい時間がずっと続いたらいいな…で、今までは「でも終わりは来るよね」だったのが、この『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』ではそこに辿り着かない事で違った哲学を模索してるようにみえる。そしてそれこそが真の「BAD MODE」なのでは…?ということまで行くと今は行き過ぎなので今宵はこれくらいで。

しかし、暑さに病に大雨に、大変だな生きていくって! ぼちぼちしのいでいきたいとこです。