無意識日記々

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「水星ってお堅いのね。こっちじゃ全然アリよ。」─そして中性から両性へ─

タイトルの台詞は昨日第1回が放送になったテレビアニメ「機動戦士ガンダム水星の魔女」で本編の大体ラストを飾った、同性婚に戸惑う主人公に放たれた強烈な一言。既に今年の名言の1つに数えられるほど盛大にバズった。

強い。同性愛や同性婚に男色を示す…じゃないや、難色を示す向きに対してこの一言は広範に絶妙な切り返しとして使えるようになるだろう、そう思わせる痛快極まりないフレーズだ。

とはいえ実際に使われるかどうかはあまり問題ではない。これを観た視聴者がそう思ったというのが肝要なのだ。そう思える─即ち、同性婚に対して戸惑う態度は「お堅い」のだと綺麗に切って捨てれる空気に今現在なりつつある事を、このキラーフレーズが示してくれている点が肝心なのだ。時代は前に進みつつある。それを象徴的に示してくれた。老けた百合男子からも大きな感謝を。どうもありがとう。

さて、令和の空気がそのようになりつつある中、「宇多田ヒカルのノンバイナリ宣言」はまだまだその域に達しているとは言いづらい。同性婚や同性愛は主に性的指向に関するイシューだが、ノンバイナリは性自認に関する事柄なのだ。指向と自認の違いというか、その二つを切り分けて考える事にまだ慣れていない感がある。(あと、直接は関係ないけど性的指向性的嗜好同音異義語なのも紛らわしいよねぇ。)

更に、これがなかなかヴィジュアル面で難しいというのもある。同性愛は同性同士が仲睦まじく在る姿を映せばいいが、性自認がすぐにヴィジュアルに反映されるかというとこれは難しい。“自認”なんだから自分でそう認めるかどうかがスタートなのだ。外からの見た目は第一義ではない。

とはいえ、勿論それを視覚的に表現してくれてもいいわけだ。昨年の宣言以降ヒカルは、かなり男性的なかっこよさを、直接的にではないにせよ少しずつ少しずつ、以前よりより明確に示し始めてくれている気がする。

それは『BADモード』のミュージック・ビデオであったり『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』のビデオ・シングルであったり。髪の毛を(ウィッグかどうかは知らないが)短くして激しく情熱的に踊る姿のアグレッシヴさは時に男性的にも映る。宝塚の男役的というと少し違うが与える肝銘は似通っている気がする。

一方で当然のように女性的な魅力も満載だ。スカートが透けてることがあんなに話題になるのはヒカルのことを女性として捉えているからだろう。NHK出演時の話ね。何故か女性ファンたちからのリアクションばかり印象的だったが男性ファンも当然のように釘付けだった。

宇多田ヒカルといえばデビュー当時から時に「中性的」と呼ばれる魅力を放っていた事でよく知られている。女性声優が男の子役を演じるときのような元気溌剌な喋り声で、しなを作ることなくざっくばらんにタメ口で話す姿はまるで十代の少年のようでそこが飾らない自然体なヒカルの魅力となっていた。ヴィジュアル面では例えば『HEART STATION』のアートワークですかね。ショートヘアで白シャツを着こなす艶姿は男の子のような女の子のような摩訶不思議な魅力を醸し出していた。

今のヒカルは、男性的な時は男性的に、女性的な時は思いっ切り女性的にヴィジュアルを構築している気がする。その気になれは資生堂のキャンペーンに出演して「女性らしさ」を前面に出し、その気になればボディ・ダブルを使ってまでアグレッシヴなダンスを披露して女性ファンを失神させにかかる。どちらの魅力も果てしない。

本来「ノンバイナリ」という言葉は「二者択一ではない」という意味である。この場合「男か女かという二者択一には当て嵌まらない」ということなのだが、今のヒカルは「男でも女でもない」というよりは、「男でもあり女でもある」という状態を少しずつ表し始めて、或いは目指し始めているのではないかと思われる。昔の若い頃の「男でもなく女でもない」中性的な魅力に端を発して現在は「男でもあり女でもある」両性的な魅力を発し始めていると、そんな気がするんだな。

もしそういう試みを続けるつもりがヒカルにあるならば、そのうち─冒頭のガンダムの台詞になぞらえるなら─「こっちじゃ全然アリよ、男の格好をするのも女の格好をするのも。両方しちゃって。」と皆が言えるようになるかもしれない。誰もが男であっても女であってもいいような、そんな世界がいつか訪れてくれるかな。