無意識日記々

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13年前の歌で1236回は衝撃的だねぇ

タイトルの意味はこの日記の後半でw

前々からそんな風に書いてる気がするけど、私にとって『BADモード』は

「今まででいちばんいいアルバムだけど“最高傑作!”とは言いたくない」

という作品だ。理由もちらほら書いてるわね、

「この作品を作った人は

 これ以上の作品を作れるはずだから。」

というのがその理由。これはもう、最初っからである。

多様性も統一感も親密さも荘厳さも、身近も遠大も簡略も長大も総てを呑み込んだとんでもないアルバムだが、ここから漂ってくる「可能性」は、それ以上なのだ。

2010年に『Goodbye Happiness』を聴いたとき、これは「熟れ落ちる寸前の歌」だと思った。そこが頂点で、ここから先は枯れるか衰えるかで…というイメージを抱き掛けたのだがそこからすかさず『Show Me Love (Not A Dream)』の

『築き上げたセオリー忘れよう

 山は登ったら降りるものよ』

というフレーズが鳴り響いた。なるほど、本人が誰よりもわかっていた! 一旦自ら山を降り、また登山に再挑戦するつもりなのだと。以後、人間活動を経てからの大活躍で、ここでの6年半の空白(っていう程でもなかったんですけどね『桜流し』とか色々あったから)が間違っていなかった事が証明された。間違ってても全然構わなかったんですけどね。休みってそんなもんだし。

『BADモード』には、まだその登山の頂点、“熟れ切った”感覚が無い。来ていない。見えてすらいない。随分に荒削りで、勢い任せで、実験精神に富んだ、「とりあえずやってみた」感が満載のアルバムである。これらのアイデアを整理整頓するだけで、更にとんでもない密度と濃度の作品が出来上がりそうだ。それが想像できるうちは、私は「最高傑作!」とは言わないだろうな。「今までで最高の作品だ!」とは言うだろうが。宇多田ヒカルの次の頂点はまだまだ先だろう。

無論、紆余曲折あるだろう。あるかもしれない。あってもいいんじゃないか…? なくはないような……

………うーん、ヒカルさんの今までの四半世紀近い活躍のその殆どをリアルタイムで味わってきた身としては、ヒカルさんあんまり回り道とかなんとかしてないって見做すしかないのよね。UTADAの2作品は余計だったとか言われそうだけど、それは市場の都合の話で、どちらも大きな流れの中で宇多田ヒカルの他のアルバムと大差ない影響力を持っているので。音楽的にね。何より、全く劣らず曲がいい。世の中には「宇多田ヒカル聴きますよ!」といいつつ『Apple And Cinnamon』を知らない人が山ほど居るのだ。今うたまっぷの歌詞表示回数見たら1236回だったよ。1%くらいは私だよこれ!(笑) なんと恐ろしいことだろうかw

そういう意味では、クォリティの割に知名度が低いことを指して「余計な事してくれたな!(笑)」と文句言うことは出来るけれども。

ともあれ、なんだろう、ヒカルさんが健康でさえあれば次も間違いなく─(今まででいちばんいい作品”という意味で─最高傑作になるだろうね…という風な言い方、今年の大谷翔平で散々見た気がするな(笑)。最早ヒカルさんも邦楽界ではゆいいつむにのユニコーンということなのでしょう。私、他の最近日本で活躍してるミュージシャン全然知らないけど、多分言い切っていいはずだっ!(たまにはお前もディグろうな日本語の歌)