無意識日記々

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ファンクラブがなくてよかったこと?

前回『FINAL DISTANCE』を境に宇多田ヒカルのゴシップ的な扱いが変わったとかいう話をしたが、確かにそういう結節的な楽曲や出来事って幾つかあったなぁと。

その次は2002年の結婚報告で、あそこでファン層が入れ替わった。今でいうガチ勢?なんだろうか、アイドル的にみていた人たちがここで離れた。しかし一方で、キングダムハーツの主題歌になった『光』から新たなファン層が押し寄せる。ここらへんから、単なるアイドル歌手という見方が薄れ、「人妻だけど関係ない。とにかくかわいい!」という人たち(ともしかしたら略奪愛上等の人も?)がメインになってきた。

次の節目は2004年3月の『Single Collection Vol.1』のリリースだ。ここで宇多田ヒカルの時代が一区切りしたわね。この作品の持つ影響力は凄まじく、10年以上経過した2015年にブックオフ年間CDチャート第1位に輝いたと聞いたときは驚いたものだ。しかし、そんな風な「定番」になった引き替えに、「旬の人」ではなくなった。

それを覆したのが2007年1月の『Flavor Of Life』で、瞬間的なものではあったがダウンロード数で世界記録を樹立してまた「旬の人」に返り咲く。そこから『Beautiful World』や『Prisoner Of Love』まで「旬の人」であり続けた。

以降も様々な浮き沈みが(市場的には)あり、そして昨年、また『One Last Kiss』で旬の人になり…って、こんな人他にいるのかな?? 何度も生まれ変わっているような。どの時代もコンスタントに売れ続けたサザンオールスターズMr.Childrenも凄かったけど、売上面や話題面で注目度が乱高下しながら25周年を迎えようとかっていう人、比較対象在る? ツアーが少ない分余計にそういうのが目立つというか。

これって結局、初期の段階で「固定客」にこだわらなかったことが大きい。つまり、頑としてファンクラブを作らなかった。その為売上が沈むときは大きく沈むのだが、ファン・コミュニティの「圧」みたいなもんが非常に弱いので、ハマッた時の大ヒットが新しいファンの獲得に結び付きやすいという面もある。敷居が低い…いやもう無いんだよね。なんかあの人達独特の空気を持ってるよねみたいなことがない。我々にね。

つまり、昔から宇多田ヒカルは「ファンクラブを作ればいいのに」と結構言われ続けてはいるのだけれど、それによって数年に一度の大ヒット曲も出やすくなっているのかもしれず、であればこれはこれでアーティスト生命の維持にとってはプラスになってきているんじゃないかと。曲毎にちゃんと評価して貰いやすい、と。ヒカルは勿論そんな理由でファンクラブを作らなかった訳ではなかったろうけれど、怪我の功名というか思わぬ収穫というか、兎に角メリットもあるのかもしれませんよということでな。

今後も定期的にファンクラブを所望する声は上がるだろう。その都度、その気持ちには同意しつつ、そうしてこなかったから今があるという説明も付け加えていくとするかな。…って完全に私のポジションが語り部の老人になるなこれな(笑)。いやでも、そうなる世寝きっね。