無意識日記々

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「今の私がまさにそう」

Apple Musicから「1億曲突破」の報が届いた。そりゃ年々配信できる音源は増える一方ですもんね。それにしたって凄い数だね。そりゃストリーミングだけでフルタイムのミュージシャンやれる人間なんてほぼ居なくなるわな。

インターネットとサブスクの普及で「観るもんない」「聴くもんない」が無くなってしまった。「読むもんない」はまだなんとか残っているが、これも風前の灯火。

いや勿論、その時の「気分じゃないの」ということで瞬間々々に適したコンテンツがすぐ見つかるということではないのだが、恒常的には「最近の音楽はつまらない」って呟くのは「自分で探してないだけでしょ」としか思われなくなったというか。本当に最近の音楽がつまらないなら未知の昔の音楽幾らでも掘り返せるもんねぇ。

昨日「その時代にいちばん持て囃される年齢がその文化の精神年齢」と書いたが、邦楽市場の今はどうなんだろうね。家庭を持ったら物理的に音楽を落ち着いて聴く時間が取れないというのはよくわかるけど、なんだかんだラブソングに特化した文化になっているので興味関心自体が若い頃に較べて持続しないというのもあるような。ないような。

宇多田さんの歌詞のテーマは、王道を行くだけあって基本的には恋愛が主だ。故にボリューム・ゾーンが20代30代の女性になりやすい。現代の適齢期ってやつだね。

だがヒカルさんも来年は40代。いつまでも「アラサーだった女子」とかって書いていられない。

そんな宇多田ヒカルの最近の歌詞のテーマにはどんなものがあるか。2つに大きく大別されていきそう、というのが私の見立て。ひとつは、『あなた』のような母性愛がメインになった曲。作詞を経るとこれが異性愛や人類愛にも転化するので直接的な分類は難しいけれど、息子の存在がモチベーションになったもの、という認識。そもそも音楽活動再開のキッカケが「妊娠しちゃった!仕事せんと!」だったんだからまぁそのまんまですよね。

もうひとつが『Time』のような、非主流的な愛の形を歌った歌。「適齢期?何それ美味しいの?」ってなもんで、世の中の世間の抑圧と規範の強制に抗うような生き方を綴った歌詞ね。『Prisoner Of Love』とかあったじゃない今更やんと言われそうだけど、ノンバイナリ宣言によって説得力倍増というか、匂わせではない明確な支持を自ら表明したというのがここ数年内での大きな動き。

そうなのよね、「当事者意識」。今までは想像力によって相手の心理を相手以上に見抜いてきたヒカルさんだけど、今歌ってる歌って『私もそうだった』どころか「今の私がまさにそう」な歌詞がフィーチャーされている。『キレイな人(Find Love)』で『王子様に見つけられたって 私は変わらない』と歌ってるのは強がりでもなんでもない単なる事実の羅列だろう。

昔の歌は「15歳とは思えないほど大人っぽい。大人びている。」と評された。しかしつまり、「大人っぽいこども」「大人びた少女」でしかなかったのだ。今は本当の大人として、一人の人としてありのままを歌えばいい。ヒカルさんも年齢と共に変化している点があるんだわ。

そんな宇多田ヒカルブランドの歌詞世界がもっともっと浸透していけば、今までのボリュームゾーン以外への「音楽への関心そのもの」を大きく呼び起こしたり呼び戻したりしてくれるんじゃないかという期待も生まれる。親としての興味や関心・価値観だったり、世間体にそぐう恋愛に留まらない様々な生き方について、王道どころか覇道すら極めたJ-popミュージシャン宇多田ヒカルが怯まずに自分ごととして歌っていくのは大きい。真の意味で全年齢に響く今の歌ってのを、今後も聴かせていってくれるんじゃないかな。