無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

教育と表現の自由ってなんなんやろねぇ

Yahoo!ニュース、明日くらいからだっけか、コメント投稿に電番号設定が必須になるらしい。これでダメコメが減ってくれればいいのだが。

読む人は読んでるけど読まない人は読まないのがヤフトピのコメ欄で、読んでた人なら御存知と思うがデマゴーグプロパガンダが飛び交うそれはそれは読むも無惨様な有様だった。常々、ポルノを18禁にするんだったらヤフコメを18禁にする方がずっと先だろうと思っていたので今回の措置でも生温いと私は思ってるのだけども。そもそも、選挙権与えないなら政治ネタ全般を18禁にすべきなのだ。…という仮定の言い方をすると私のスタンスが誤解されそうだが、多分逆。政治ネタをこどもに権利も与えず開放するなら性教育をもっと徹底してやれやというのが私の感覚。18禁廃止ってやつですね。そっちです。

そこらへん、宇多田家の─って書いたら今は宇多田光/ダヌパ家のことになるのか、時代は変わったな─宇多田(純子/照實)家の教育方針は非常に私に馴染んだ。PG12が「親の指導による」のをいいことに、というかそんなの関係無しに、どんなコンテンツも幼いヒカルさんに触れさせた。それが今のヒカルさんのopen-mindedなスタイルにそぐったのは間違いないところだろう。

各家庭の教育方針に口を挟む気は毛頭無い…とか言ってられたのは前世紀までで、今の御時世親の教育に虐待の要素が無いか社会から目を光らされる時代だ。子に対する過度な情報統制はこどもの人権を侵害するおそれがある、という言われ方も珍しくはなくなっていくだろう。

その流れの一方、例えばAppleなどは非常に検閲が厳しく、日本の緩い基準のアプリなどのコンテンツが引っ掛かる事もしばしばで、年齢による場合もよらない場合も不自由を感じさせる事例が後を絶たない。

かくいうヒカルさんも今年それにひっかかって、Apple Radioなどで『BADモード』の歌詞の一部が削られたりした。最初「音飛びかな?アナログみたいなこともあるもんだ」と呑気に構えてた私だが、検閲だと気付いて青ざめましたよ。

時代の流れは地域性を伴ってどちらに行くかわからない。先鋭化と分断ばかりだと疲れるが、一方で自分が心地好いと感じれる領域はどうしたって先鋭化していく。大人はその間の際(きわ)で仕事をするものなのだけど、ヒカルさんは案外どちらに行くのかわからない。

日本だと安全安心の歌手、みたいな受け止められ方をしているのだろうかな。音楽市場は、映像関連のR18/R15/PG12区分などのようなものはないし。一方で欧米ではUtada HikaruはExplicit Lyrics扱いもされる。同じ歌を歌っても、市場によって受け止められ方が異なるだろう。ひとまずは、検閲されない方がいい。ストリーミングで聴けるからと油断せず、可能な限りフィジカルを買って保険にしておきたいというのが私の今のスタンスなのでした。