無意識日記々

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ご当地と疎外感

「ご当地限定」自体はいいと思うんだけど首都圏でそれをやるとイヤミったらしい、ということかな。難しいよね関東って。中央という認識と関東ローカルっていう現実が重なり合ってるから。小さい頃はテレビでローカルネタ(小田急沿線がどうとかそういうやつ)を全国ネットで披露するテレビタレントの気が知れなかったけど、目の前のディレクターに気に入って貰う為には形振り構ってられなかったってことだったのね。目の前の人をまず笑わせないと全国ネットの舞台に立てないと…

…って唐突な独り語りで日記を初めてしまったけれど(日記ってそういうもんですけどね)、バラエティ番組と共に歌の世界もローカル性と中央集権ってどうしても存在しててな。「有楽町で会いましょう」とか「横浜たそがれ」とか関東住んでから意味が変わったもんねぇ。

ヒカルさんも歌詞の中に具体的な土地名を置くことがある…と思ったけど、どちらかというとUTADAの方が多いか? クレムリンは今出さなくてもいいけど、ニューヨークと東京が出てくる『FYI - Merry Christmas Mr. Lawrence』なんかも…そういえばもうクリスマス・シーズンなのかもう…“Let It Snow"が身に沁みる季節…と思ったけど今朝結構暖かいな!?

そういう意味で『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』は画期的だわね。固有名詞の地名がタイトルに入り込んだのは『東京NIGHTS』以来20年振りになったのかな? どうだっけ。

具体的な地名を盛り込むと、そこを知ってる人と知らない人で曲の印象が変わってしまう。恐らくだが、マルセイユ在住のリスナーにとって『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』という曲は在り方からして違うのだろう。ただ、それは恐らく嬉しみを伴ったもので、嫌な感じじゃないだろうね。

何より、『東京NIGHTS』も『FYI - Merry Christmas Mr. Lawrence』もそうなんだけど、土地名が「ご当地感覚」よりも「外様としてみた景色」が強調されているのが少しヒカルは違うかもしれない。東京キー局の番組で関東ローカルネタで盛り上がられた時感じる疎外感─その疎外感の方に寄り添う歌詞になっているというかね。「その土地を知っている」から歌われてるというより「その土地を知らないから」歌っているというか。

そう書くと、東京もニューヨークもヒカルさんが育った地なのだからご当地なんじゃないのということになるのだが、多分だけどずっと住んでてもご当地とか故郷とかいう感覚なかったのかもしれないね。ずっとアウトサイダーの感覚で居たから、東京に対しても外から眺めるような目線になるというか。(今後ロンドンについて歌われるのは注目で、その嚆矢が『Somewhere Near Marseilles ーマルセイユ辺りー』かなぁともおもうんだけどね)

そんなヒカルさんなので、ここからはそういう中央とローカルの境界線があやふやになった押しつけがましさとは無縁に、いつも企画が開催される都会以外への人たちに向けた何かをここから展開してくれるんじゃないかと。まー限度ってものはあるけど、そこは「姿勢」の問題だと思うので。

そうね、例えば『HEART STATION』アルバム発売時のご当地ラジオ局毎の固有なステッカー配布とか、ああいうのがあったらいいなぁと思いますよ。いや勿論、いちばん嬉しいのはおらが町にコンサートしに来てくれることなんではありますが。そこは現実とのバランスと、心意気ですわよね。…でも取り敢えず旅費は貯めとこうか!(笑)