無意識日記々

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ヒカルの誕生日といえばカレーですよね

『40代はいろいろ♫』でケッサクだったヒカルの発言といえば「インドカレー屋を買収すればよかった」発言だろう。2001年「うたばん」での『お金ならあるわよ?』発言を思い出させる見事な切り返し。惜しむらくは地上波放送ではなかったため字幕付きにならずインターネットミームになりづらいことか。いや別にならんでもええけども。

前も書いたっけかな、あたしゃこういう「力を持った人ならではの発想の飛躍」が大好きなんですよ。「小説家になろう」でも「転生したらスライムだった件」をはじめとして「俺強え(TUEEEEE)」なんばっかり読んでるし、腕力がとんでもないとか財力が常軌を逸してるとか、そういう立場の人って庶民には思い付かない発想が出来るのが魅力なのだ。要はその発想の自由さが好きなのだが、こんな風にお気に入りのインドカレー屋(ラージマハールだっけか)が潰れたからといって「あぁ、こんなことになるならもっと通っておけばよかった」というよくある庶民的思考に留まらずに「買収しておけばよかった」とカレーじゃなくて店ごと買う発想になれるの、ほんとお金持ちは面白いな!って思うわ。

ただ、『お金ならあるわよ?』同様、「買収」って言葉のチョイスは自虐的に過ぎるというか、諧謔性を自身に向けるときは相変わらず遠慮が無ぇなぁという感想もまた抱いたかな。日本語として、00年代~10年代に「買収」という見出しはどちらかというとネガティブな響きを伴って書かれていたように思う。日本の企業が潰れて海外の企業に買収されるニュースが多かったからかな。日本で育てた技術を他国に奪われるみたいな文脈でよく使われていた。

ヒカルの今回の買収発言って、中身を繙いてみればつまり「経営が上手くいってない企業を救済したかった」って意味なんだよね。「資金繰りが悪化してるなら出資したのに」という趣旨。つまりホワイトナイト(White Knight)ってヤツなんですよ。友好的買収。昔見出しで悪辣に描かれていたイメージは敵対的買収の方で(実態は必ずしもそうでなくてもね)、この二つを両方「買収」の一言で片付けると誤解する人も出てくるのかもしれないね。

ただ、ヒカルさんは作詞家だ。将来は小説家にもなるだろう。言葉自体の切れ味を最優先するのは本能といっていい。あそこで喋り言葉で「友好的買収」とか野暮ったいことを口にするのはセンスが許さなかったろうね。ストレートに「買収すればよかった」で視聴者から爆笑をかっ攫ったので、本人としてはしてやったり、言葉のチョイスに満足していることだろう。それによって買収発言を敵対的買収に勘違いする人が在るかもしれないリスクは重々承知の上だろうかな。自分が貶されるリスクをとってでも笑いを取りに行く姿勢。見上げたもんじゃないの。

今回はテレビの情報番組でもこの発言が取り上げられたようでメデタシメデタシなのだが、たまにヒカルさん、自虐が行き過ぎる事もあったりなかったりするのよね。ファンの方はセンシティブに「そんなに自分を卑下しないで欲しい」と感じる事も出てくるのかもしれないので、自虐気味のジョークもほどほどにね、ヒカルパイセン。