無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

podcast「今こそ宇多田ヒカルについて話そう!」を聴いた

https://twitter.com/uno_kore/status/1621169074524008449

#338「今こそ宇多田ヒカルについて話そう!」

https://open.spotify.com/episode/1NwHcFI09HiNYIfTmWpyKW

#339「続・今こそ宇多田ヒカルについて話そう!」

https://open.spotify.com/episode/5TNeNUNtPA0jqQcxLhWVxh

宇野維正さんが出演した「POP LIFE THE POD CAST」第338回及び第339回を聴き終えた。2回に渡って合計2時間半近くずっと宇多田ヒカルの話。やたら楽しく聴かせてうただきました。

一応体裁としては#338がドラマ「First Love 初恋」の話、#339が「好きな宇多田ヒカルUTADAのアルバム3選」ということにはなっているが、大半は宇野さんの独演会だった(笑)。いやしかし、ヒカルのことよく知ってるねぇ。当たり前か。

無意識日記を常読してるような人にとっては興味のある話題ばかりだったと思ったので今これを読んでる人は必聴だよと申し上げておきますわね。

宇野さんの仰ってることについては99%くらい同意、ということを前提として(特に座談会のなりくんについてのくだりは笑った)、今回はひとつ付言をしておくかな。

宇多田ヒカルは、特に最初の12年は「アルバム」というものを作る気が無かったんじゃないか、と主張したい(UTADAは事情が別)。ヒカルは常に「1曲入魂」で、曲という単位には大変こだわりが強いがアルバムというパッケージにはそこまで関心が無かったのではないか。最初の12年は結局自分で曲順を決めることもしなかった。網羅的な記述は思い当たらないが、話を総合すると三宅P/照實P/沖田Dの合議制によって曲順が決められアルバムとしての体裁が整えられていた、ようだ。どうやら。

故に、タイアップのある楽曲とそれ以外の楽曲で作風に斑が出来るのも自然な事だった。ヒカルは、三宅さんから「あと○曲書いて」と言われてその曲数になるまで(〆切と格闘しながら)1曲1曲を書いていたに過ぎない。なので、アルバムの統一感の有無や程度や是非についてヒカルを質すのは、的外れとまでは言わないまでも、答を得られるものではない、ということは踏まえておくべきだったかなと。

いや勿論、リスナーの方はアルバムというパッケージにお金を払ってきたのだから、そこにアルバムなりの作品性を問うのも自然ではある。アーティストにそれを問うのではなく、リスナーとしてそこの満足度が足りなかったというのなら話はわかる。

だがそれも昔の話で、ヒカルは一昨年『BADモード』において曲順をはじめとして“アルバム”というフォーマットにかなりコミットした。ヒカルが同作について『今までで一番好きなアルバムかも』とコメントしたのは、字面通りの意味に加えて、本腰を入れて“アルバム”としての作品を作った手応えが今まででいちばん強かったというのもまた大きかった為ではないだろうか。

なので寧ろ、宇野さんが好きなアルバムを3枚挙げろと言われて「あのアルバムのA面」とか限局して語っていたのは、畢竟ヒカルの意に沿う結果になっていた気がする。彼がどのアルバムの事について語ったかは──ポッドキャストをチェックしてみてね☆(って書くと後年読み返した時イラつくんだよねぇ…)

まぁそんな指摘もしつつ、こうやってヒカルについて熱く語ってくれる人がメディアに居てくれてはる安心感を噛み締めているのでありました。まる。