無意識日記々

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5to8

へぇ、「新堂本兄弟」出演から15年か。懐かしい。

https://twitter.com/hikkicom/status/1636122600412700672

この時期はヒカルが最も精神的に荒れ狂っていた時期で…というのはトークを聴いて貰えればわかるかな。端的に言って病んでいる。本人も自覚していたようで、自分のことを『行き先不明の暴走トレイン』と称していた。決まった線路の上しか走れない列車の行き先が不明って相当な暴走振りなんですよ。

ただ、5作目のアルバム『HEART STATION』の出来栄えを顧みると、いやこれ一人の人間がたった2年で作れるクォリティじゃないよね。人間性の大事な部分まで削り込んでしまったというのは逆に納得感がある。『テイク5』の最後の一節、『今日という日を素直に生きたい』が生まれたときにヒカルが「なんだ、私、生きたいんじゃん」と気づいたというのは有名な話だが(…そう?)、そうやって歌に教えて貰うまで自分の生物としての生への欲望を認識できないほど壊れていた、或いは厭世的だったというのを象徴するエピソードでもある。確かに、宮沢賢治の「銀河鉄道の夜」のラストに通じるものがあるな。次にこの作品を映画化するときには是非『テイク5』を採用して欲しい。なんだったら「銀河鉄道999」にも『テイク5』が合う、という意見を伺って私も確かにリメイクするならこれエンディングで流されたら堪らんなとなったわ。

今は更に凄まじい8作目のアルバム『BADモード』を作り上げても壊れた風ではなかった。それだけ丈夫になった、或いは母親になったのだから『くよくよしてる場合じゃない』と開き直れてる、のか。例えばアルバム発売時のインスタライブをみても穏やかで優しく元気そうだった。

しかしそれで創造に関する心身への負担が軽くなっているのかというと恐らくそんなことは全くなくって。『Hikaru Utada Live Sessions from Air Studios 2022』収録時に直前まで声が出ず日常生活を筆談で送るまでになっていたのはメイキングを御覧になった皆さんなら御存知だろう。うらぶれていた15年前と、創造の負担は変わらない。どころか増している。歌手が声を失うだなんて、9歳の頃東京駅で迷子になった時以上の絶望を感じたのではなかろうか。(迷子エピソードはその「新堂本兄弟」で語られています)

こうやって、大人になるというのは、傷つかなくなる、鈍感になるというのとは違い、傷ついても立て直す術を、何事もなく日々のよしなしごとをこなせる方法を身につけることなのだなと納得させられると、17歳の時に歌った『タイム・リミット』の『傷つき易いままオトナになったっていいじゃないか』という一節が殊更しみじみと思い出される。目の輝きが失われていないどころか、若い頃より更に綺麗になっているのをみて、寧ろ自分を守る、立て直す術を身につけたことでこどもの頃以上に神経と精神をより繊細に研ぎ澄ますことに躊躇しなくなったかもしれない。そして今現在進行形で目の前にこども時代を送る人が居て毎日それをよくみることが出来ている。

なんだろうな、そういった現況を端的に表したのが昨日のエピソードだったんじゃないか。

ミケランジェロ過ぎワロタ 

遅刻しそうでミゾレが降る中でもこんな写真撮る母親に付き合ってくれる息子…』

https://twitter.com/utadahikaru/status/1635594601829466115

『割とテイク8くらい』

https://twitter.com/utadahikaru/status/1635605797945380864

ミケランジェロの「アダムの創造」に擬えて道に落ちてる手袋を撮影する母ヒカル。どうやら動画の方は一旦戻ってきて撮影したらしい。道の濡れ具合から推察できると。特定班ますます磨きがかかってるな…。

「なにやってんの、こんなのどっがこどもかわからないじゃない」だなんて皆から思われてるのだろうけど、そうなのよ、ヒカルさんは「傷つき易いままオトナになった」ので、こどもの頃の感性とサヨナラした訳じゃない。局面々々でこどもの顔を見せてくれる。それでいて『BADモード』のようなとんでもない作品を8作目に作り上げるのだから見上げたもんどころの話じゃないよねぇ。総ては繋がってるんですな。テイク5からテイク8へ、5作目から8作目へと、ね。