無意識日記々

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ファン層を最も入れ替えた曲

前回は辛辣になったが、言い過ぎとは思わない。あらゆる差別の中でも、相対的・総体的にみて賢愚の別はなかなか広範囲に悪辣だからだ。今までどれだけ「黒人は愚かだから」とか「女子は愚かだから」とかで差別があったかわからない。人を愚者呼ばわりするのは何しろ肌の色も性別も何もなくてもあっても出来るのだからね。しかしそれにしても、教育の機会を悉く奪ってきておきながらそれを言うんだから酷い。これを何世代にもわたって繋げてきたのだから歴史って恐ろしい。故に賢愚の別は愚の骨頂である…だなんて書いたら私も仲間入りしてしまうんだからホント罠だよねぇ。なので真剣に人をバカにするのはやめましょう。

しかし、こういう危うい言説をヒカルがリツイートしたくなるほど現代の分断は甚だしい。英国でも米国でも昨今の国レベルの投票結果は見事に真っ二つになっていて、住んでるヒカルも色々と実感しているのかもしれないね。

最近のヒカルはとても自制的であった。『気分じゃないの(Not In The Mood)』に顕れていたように、現代の格差社会に対して優しさと慈しみの眼差しを持ちながらも至極冷静だった。人によっては冷徹とすら受け取ったかもしれない。しかし、元来のヒカルはとても熱い人なのだ。立場が立場なので皇族並みに表現に気をつけなければいけないだけでな。そんな中リツイートという行為は、発言の跡が残らず、しかし言いたいことは伝わるという上手い手法だったとはいえる。熱さを伝えるのに他人の、しかも誰のだか誤解したものを用いなければならなかったのは歯痒いが、綺麗に諦めるよりガチャガチャと足掻く位の方がカッコいいよね。

ファンとして不満なのは、折角今日が『光』の発売記念日だというのにな、という点。この歌は自分の名前を冠してるのだからどんどん祝えばいいのに…と私などは思うが出来上がった楽曲にはそんなに興味を示さない人でしたね貴女。まぁ新しいマテリアルにかかずらっているせいで過去の曲なんか眼中にあらへんのならそれは最高の朗報なのですが!

『光』といえばその昔─多分『ヒカルの5』の時だな─、ヨイショの金さんが(って無説明で書いてわかる人がどれだけいるやら…?)「最近ファンになった人は『光』が好きだね」と言っていたのが印象に残っている。『光』リリース以前からのヒカルのファンにとって、『光』はあまりピンと来なかったらしい。しかし、『DEEP RIVER』~『ヒカルの5』あたりでファンになった人たちにとっては、直接の切っ掛けが『光』でなくとも大変人気の高い曲であった。つまり、そこらへんで「ファン層の入れ替わり」があったというのが長期的に見た場合の結論ということになるかな。

それくらい、『光』はエポックメイキングな楽曲だったといえるだろう。宇多田ヒカルの新しい時代を創り出した1曲である、と言い換える事も出来るか。以降、様々な曲が同じように「結節点」となって新たな層を開拓してきたが、なんだかんだでいちばんファンを入れ替えたのは未だに『光』なんじゃないかと、古株なおっさんは思うのでありました。まぁそれは多分日本語圏の話で、非日本語圏ではまた別かもしんないし、理由を述べよと言われても難しいんだけど、現象の観察結果としては、ね。今後もそういうのを感じ取りながら聴いていければいいですね。