無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

すいません、これ書いてる時7割寝てました。

二次創作に関して。日本にはフェアユースの法的概念が皆無なので、そこから整備されていかないといけないのだけど、米国流を追随する位ならもっと踏み込んでいきたいところ。

経済でいう公正取引委員会のような概念が創作分野にも必要だ。ざっくり言えば巨大過ぎる権力は市場の発展を阻害するからそこに口を出せるようにしよう、というシステムだが、これを自由な取引が前提の市場に対して邪魔だと思う人も居るだろうが優先順位の話であって。市場が自由であることは至上命題ではなく、生産性や創造性の最大化・促進化自体の方が優先されるのだ。自由な競争を奨励しきった結果として労働規範が荒廃したり人々が餓死してたりしては何もならないのよね。経済はそんな事のためにあるものではない。

創作活動も同様で、著作権法の適用が個々の創作意欲を阻害する結果を齎すのであれば法の方が間違っている。勿論これは法律を通せる人間以外が言ってても負け犬の遠吠えに過ぎないのだけれど、そうであるという事実と真実まで曲げる必要はない。

なので本来であれば、著作権管理を委託している相手が不当に創作を阻害する行動に出たら訴えられるようにすべきだろう。U3Musicやエピックは動画削除した当人を訴えられる条項が契約に盛り込まれているべきだった。現状はそんなとこまでは行っていないのだけどねぇ。やれやれ。

しかし実際、ファンの二次創作によるプロモーション効果は無視できないレベルになってるからねぇ。新曲が出た時の「歌ってみた」動画とかえらい再生数だし。あれを本家が「再生数を奪われた」とみるかどうかは個別ケースによるのだけれど、いやホントその個別ケースを的確に判断出来る人間、部署、法的担保がないと今後プロモーションでかなりの後れをとることになるだろうね。

誰あろう宇多田ヒカル自身が、金銭的報酬よりも「他者の創作意欲を刺激したこと」に価値を見出すタイプなので、我々は何より「そういう価値観が厳然とこの世に存在していて、それが行動原理になっている層」が分厚く存在することを認識してアピールしていかないといけないんすよ。ただ、一方でレコード会社は経済活動だから(会社だからねぇ)、そちらへの配慮もしつつ、なのだけども。

実際ヒカルも長年自分のことをアーティストや芸術家というより職人としてみてきていてて、音楽を家業と呼んだりオファー(注文ですね)に対する忠実さを重視したりと経済活動をよくよく見据えたスタンスで来ていたのだけど、最近はほんの僅かだけどもっと表現活動、アートへの意識が高まっているようにも感じられてきている。ここらへん、日米英の著作権周りの法整備を睨みながら、一体どこらへんを重視して活動を推進するのかってのがもっと明確に見えてきたら、ファンによる二次創作に対する風向きと風当たりも変わってくるんじゃなかろうか。

あたしは今回の件を非常に重くみている。産業革命以降の経済活動より、インターネット時代の創作活動の最適化や最大化を行動原理にした人の営みが活発になっていく中で、20世紀の遺物になるかどうかという現行の著作権法と心中する必要は全く無い。レコード会社やレーベルや事務所の在り方も含めて、常に活動形態を柔軟に変化させていく必要があるだろう。

いやまこっちはええ歌聴かせてくれたらそれでええのんやけど、そのシンプルな目的を実現させ続けていく為には、関わる人間の意識改革が日々少しずつ進むことが求められていくだろうね。