無意識日記々

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星を包み容れる力は光

『山は登ったら降りるものよ』ということで今のヒカルは前に登ってた山よりもっと高い山に登っている…というのは概ねその通りなのだけれど、今はその「登山」のイメージ自体が進化しているように思われる。

「高いところに登り至る」というとどうしても艱難辛苦を乗り越えて空腹と苦痛と疲労に抗い続けた挙げ句に辿り着くみたいなイメージがあり、その中でより高い場所に自力で立てた人間が偉いとか優っているとかそんな風にみられがちだけれど、今のヒカルはもっと広範な視野を持っているのではないかなと。

そもそも、「高みに至る」とは何なのかというと、地球の重力に逆らって進む事。これは確かに局所的には低所から高所に登る事を意味するが、地球サイズでみた場合それは「地球を包み込む外周を押し上げる」ことになるのだ。人工衛星を思い浮かべる。彼女たちは地球上で誰よりも高い場所に居るけれど別に重力に抗ってロケット噴射を続けている訳ではない。星の回り全体を回り続ける事で「静止」しているに過ぎない(静止衛星の場合は)。星と力の釣り合いがとれれば、そこから力み返る必要はないのだ。

今のヒカルはそういう境地にあると思う。星と向かい合えるだけの力を得ていて、誰かと較べたり競ったり優ったり偉くなったりという段階では最早無く、この星全体を包み込む視点でじっと静かに自らの場所に佇んでいるような。確かに高いところにいるけれど、その分誰からも見える場所にいて、だからといって抗うことに注力せず静かに自分の仕事を遂行しているような。勿論いつでも誰とでも遣り取り出来る。「今までとは違う山に登る」といっても、最早重力圏自体から解放されているような。それくらい達観し超越している境地に感じる。

でも、そんな人間離れした視野の広さで満足するかというときっとそんな事はない。誰よりも欲深いヒカルはそこから先、「そもそも“高さ”を生み出す星の存在自体」になろうとしてくるだろう。高みとか深みとか、そんなのは星があるから語られるイメージなんだから「星の気持ち」になれればもっとみんなのことがわかるかもしれない。

そしてそこから先は「恒星」だよね。自ら光り輝いて世界を照らせるような。名前が『光』なんだから光を生む存在に至るのは必然だ。つまり、目指すは「太陽」であってそれはもうデビュー曲の『time will tell』から暗示されていた。もうその時点で『雨だって雲の上へ飛び出せばAlways blue sky』と“発想の飛躍でより高い所へ”というスピリットは示されていて、そしてその頃からずっと『太陽』は自らの憧れの象徴、お母さんのことを指していた。ヒカルが登って辿り着くのは太陽であるからしてそりゃアルバムのジャケットデザインを任されたら沢山の太陽、恒星を鏤めるわよね『Utada Hikaru Single Collection Vol.2』にみられる通りに。

…こんな話をしているとどこまでがただの比喩でどこからが歌詞の解釈なのかわからなくなっていくけれど、それはそれでいいのではないかな。言葉のイメージというのは刻一刻移り変わり毎瞬々々生まれ変わっていくものだから、紡いで触れ合った言葉を重ねる事でその役割も少しずつ変わっていく。ヒカルの作詞も、毎日触れ合う言葉の中で少しずつ変化しているだろうからまた次の新曲が楽しみでならなくなるのよね。どんな高み─星を包む力を見せてくれるのか。ダヌくんの母ちゃんどんどん頑張っていってほしいものですたい。