無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

「いつどこで」を意識してなくて不覚だったという話。

昨夜のインスタで改めて気づいたのだが、小学生時代の大半をNYで過ごしたということは、なるほどその間に触れた書籍も英語のものが主体になるわね、当たり前かもしれないけど。

アニメ「CITY HUNTER」のエンディング・テーマ曲“Get Wild”に触れていた5歳の頃は即ち日本に居たわけで。当時はNetflixとかないからね、日本に居ないと日本のアニメは観られなかった。そう、ヒカルの各成長期毎に、メインの言語は移り変わっていたのだ。

@utadahikaru : 小5の頃、毎晩METALLICAのブラックアルバムをヘッドホンで聞きながら寝たものですおはようございくまぼんじゅーる“(`(エ)´)ノ彡☆ !! ひさしぶりに聴きたいー!

https://twitter.com/utadahikaru/status/1083490686738432

こんな呟きもあった。ブラックアルバムがリリースされたのが1991年だからそれ以降の話ではあるのだが、ヒカルが小5って何歳なんだろ? 飛び級をカウントすると1992年辺りだとしても問題ない訳か。つまり、アメリカ時代、周りが英語話者だらけの中でのメタリカだったのかもしれない。

となると、気になったのはメアリーJ.ブライジの「マイ・ライフ」。昨年のコーチェラでのインタビューでも相変わらず触れていたヒカルに最も影響を与えたアルバムのひとつだが、これが発売されたのが1994年。ヒカルが11歳となると、もうこの頃は日本に居たのかどうなのか?  クイーン・オブ・ヒップホップ・ソウルという称号を抱いた90年代R&Bのアイコンと出会ったのがNYだったのか東京だったのかで随分話が変わりそうでさ。日本に「リズムアンドブルース」ではない「アールアンドビー」という言葉を定着させた最大の貢献者である「和製R&Bの歌姫」として持て囃された宇多田ヒカルが、初めてR&Bにのめり込んだのが「どこで」だったのか。そういえば言及されたことないのかな? うーむ、今まで盲点だったわ。意識してインタビュー読んでなかったから読み落としてきてるのかも。うわー、不覚だ。

まぁコンサートを観に行った訳でもないのならどこで音源を聴いていたとしても大して変わらないのだけど、でも例えば最近でも『君に夢中』『Rule』に関して殊更にNYの空気感を強調するなど、創作/制作面に関しては「いつどこで」というのは非常に大きなファクターだ。冬のロンドンの曇天模様無しに『気分じゃないの(Not In The Mood)』の空気感は醸せない。なので、アウトプットの前のインプットの段階でそれが「いつどこで」の話だったのかもまた非常に気になるのでありました。今度また『ヒカルパイセンに聞け!』が開催されたら訊いてみようかな。