無意識日記々

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少年

心理学の話になるのかもしれないが、男児にとっての男親と女親、女児にとっての男親と女親の在りようによって、人の以後の愛情関係は異なっていくように思われる。

光の場合女児であり…

…と書くと世の中には男と女しか居ないみたいにきこえるが、遺伝子は、自然現象は自由である。何らかの繁殖能力があれば生き残るし、それらから常に生まれ得るなら個々の個体が直接繁殖能力をもたなくても永続的に存在し得る。その無限のグラデーションの中で自然選択的に男と女というカテゴライズが圧倒的多数を形成したに過ぎない。少数派とはしばしば、その圧倒的多数の存在に対して必然的ですらある。その点は踏まえておかなくてはいけない。

で、光の場合は女児として母親に接し、父親と行動を共にしてきた。一人っ子であり、引っ越しを繰り返した為常に行動を共にするような親友も居なかったのではと推測される。飛び級もしたし、小学校の頃の友達の話もきかないし。もう少しあとになって、恐らく日本で同性の親友と呼べる人をみつけ今に至るという感じ。

なので。この物語に"少年"は出てこない。光にとって少年のロールモデルとは何なのだろうか。ここでいう少年とはBeautiful Worldに出てくる少年マンガを読み耽るBeautiful BoyでありStay Goldであなたの瞳の奥に潜む少年であり、Goodbye Happinessで甘いお菓子が消えた後に寂しそうな男の子である。「彼」は一体、誰なのか。

歌詞に出てくる登場人物には偏りがある。芸風によっては語り部たる老人が頻繁に登場する事もあるし愛人だらけの事もあるし妻への愛ばかり歌う人だって居るだろう。光の歌詞でも、登場人物には偏りがあって、多分最多出場は光本人をモデルにした誰かであろう。性別や年齢や生まれ祖田の環境や。あと名前を呼ぶのはお母さんか。Mamaとか母さんとかママとかお母さんとか。

となると、やはり光の人生の中で少年の登場する余地がない。勿論、もしかしたら小学生の頃好きな男の子が居て、でも手が届かなくてとかそんなエピソードもあるかもしれない。ただ、インタビューでそういう話が出たという記憶が私にはない。知ってたら誰か教えて欲しい。

反対側に妄想を振り切る事もできる。光にとって"少年"とは徹頭徹尾フィクションなのではないか。人生における様々なフェイズの中で、少年という項はとても影が薄いのではないか。いやそりゃ全く交流がなかった訳ではないけれど、光の人生に目立った影響を与えてこなかったのかもしれない。

そういう影響の薄い存在であったとして、ならば何故歌詞でこういう描写をされるのか。また次の機会に考察します。