無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

いとをかし きすをくしする かしのいと

LGBTQ...が市民権を得ていく過程は、個の帰属分類の精微化の過程でもある。「男らしさ」「女らしさ」という二分類が多様化し情報の精度が上がる。ここに於いて肝要なのは、精度を上げる事で倒錯を解消する事だ。

何故「男らしさ」「女らしさ」が煩わしいかといえば、規範として個に強制力がはたらくからだ。元々個体情報の把握の一助に過ぎなかった“性別”という概念が、その高い利便性故に規範として扱われ圧力として個体情報の改変を強いてくる。もともと自分の体型に合った服を見繕って居たはずが、服に体型を合わせようというフェイズに相転移するのだ。故にダイエットは倒錯の一種ではあるのだが話が逸れるからそれは置いておくとして。

LGBTQ…も結局カテゴライズの罠に陥り倒錯が起こり強制圧力が生まれ始めればそれは単に性の種類が増えただけで、生きづらさは依然残る。結局はどこかで倒錯を克服し「もともとただの方便じゃん」と開き直らなければならない。だったら最初っから性別なんてカテゴライズやめときゃいいじゃんね、人を直接見ようよ、というのが「究極的には男も女もない」という立場であり、そこに立てて漸く、本来の問いに戻れる。「男であること」や「女であること」とは、一体何であるのか。

差別と帰属意識は常に表裏一体である。何れも、ほぼ幻想に支えられた概念でしかないが、人は理想無くして生きるのは難しい。こうあるべきという規範は、人は弱さ故に常に追い求めるものなのだ。自由は辛いのよ。まぁ、ダイエットの話だねこれ。

つまりこれは自己と他者の物語であって、性とは「あなた」と「私」で作られた空間において脆弱性からの要請で生まれる何かなのだ。そこから作詞をするからヒカルの歌詞は性別を変えても普遍性を保てるし、弱さと不安で疲れた人の心の奥底に直接響いてくる。同性愛を描こうが異性愛を讃えようが特に形を変える必要は無い。どちらから光を当てて眺めるかが変わるだけだ。

そういう観点から『Kiss』という言葉、ヒカルの使う歌詞としての『Kiss』を眺めてみるのが、『One Last Kiss』という歌の本質にダイレクトに迫る道筋のひとつになるように思うのでこんなややこしい前段を書いてみた。

例えばUtadaの歌詞のように直接『Sex』と言い切るよりは、日本語の歌詞の中で『Kiss』を駆使する方が応用範囲は広い。それは親愛にも性愛にも当て嵌るからだ。異性との時間でも同性との時間でも、母娘の時間であっても『Kiss』は挟み込むことが出来る。『誓い』でも『大空で抱きしめて』でも『Time』でも。

『One Last Kiss』は「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」のテーマソングだからして、まずはシンジくんとカヲルくんのキスシーンがあるかどうかに注目が集まるところだが、勿論組み合わせは他にもありえるだろう。レイでもアスカでもマリでもユイでも誰でもだ。そのどのパターンが来ても『One Last Kiss』は光り輝くだろうことを、はてさて90秒と15秒の音楽から紐解けるだろうか私は。気が向いたらまた続きを描きますね。

アップデート・ラヴァーズ

毎度書いてる事だが、Pop Musicの歌詞がラブソングをメインにしている以上、その歌詞で使われている言語の言語圏に於ける恋愛事情というのはクリティカルな問題になる。

例えば日本の演歌などは、当時の日本の恋愛観を幾らかは反映していた筈だ。何故悲恋の物語が多いのかといえば、結婚と恋愛が結びついていない慣習を引き摺っていたからだろう。恋愛自体が悲しいものだったということだ。藤圭子はその世代の怨念の頂点だったから「怨歌歌手」などとまで言われた。

欧米化した日本の歌謡曲、Pop Musicにおいてその様相は変わる。演歌ブームのあとにきたフォークミュージックやニューミュージックの台頭は新しい世代の恋愛観を背景にした歌詞が受け入れられた。「大恋愛の末結ばれる」とかいう、欧米型の、演歌では希少なパターンが散見されるようになった。そこらへんの移り変わりを上手く捉えたさだまさしの……って各論は長くなるから省略するとして。

そこから昭和平成令和と流れてきてジェンダー観や結婚観が多様化し、Pop Musicで描かれる恋愛も様変わりした。宇多田ヒカルって、平成の3分の2を担っていた人だから、ある意味そろそろ前時代的になっていたとしてもおかしくなかったのだが、ご存知の通り、寧ろ時代に先んじすぎないように調整してる節すら窺える程現代に適応している。『Time』や『誰にも言わない』はまさにそこらへんの調整の賜物になっていて、あまり旧時代的な感覚はない。

週末に「ネットの音楽オタクが選んだ2020年のベストトラック100」というのをみつけた。200人余りに対するアンケートのようで統計的な意味があるかはわからないが、こういうタイトルの元にしっかりヒカルの『誰にも言わない』と『Time』がランクインしているのはなんだか面映ゆくなった。ベテランの上に「お茶の間でもお馴染みの」なアーティストが音楽オタクたちからも高い評価を受けていると。

何よりもサウンドが常にアップデートされてきているのが大きいだろうが、それと共に、歌詞の世界観、恋愛観に違和が無いのもあるのではないか。今の若い人たちからみても恋愛観が身体性を伴って実感されやすいというか。それと伴に、時代に左右されにくい普遍的なテーマが根底にあるというのも。まぁそれは伝わらないとわかってもらえない要素なので今の風景の中でどれだけ効き目があるのかはわからないが。

でも、もうロンドンに住んで長いだろうに、よく日本の空気とかわかるよねぇ。いや、「ネットの音楽オタク」にウケるとか、電脳空間の中での話ならどこに住んでようが関係ないのか。恋愛ドラマや恋愛小説なんかも電脳空間は最早切っても切れない関係になったし、案外そこから結構なところまで見通せるのかもしれない。おぢさんには遠い世界の話だけれども。

もうちっと具体的な話に踏み込みたいところだが、さてどうしようかと思案中。何しろ次の新曲がカリカチュアライズされたフィクションたるロボットアニメ(エヴァはロボじゃありませんが)のテーマソングなので、そこから現代日本の恋愛観との親和性について語るのは骨が折れる。まだ歌詞も一部分だけだしね。まぁ考えときますわ。

インスタライブで詩の朗読なんてどうでしょ

インスタライブというのも、見ているとそれぞれ人によって大分力の入れ方が違っていて。ふらっとその気になったら気楽にオンエアする人も入ればYouTuber並に凝る人も居る。

ヒカルの場合は結構下準備を入念にしていた感じでしたね。始まるまでけっこう時間が掛かったりして。スタイリングも自前だろうからそこは仕方がないのだけれど、こちらとしては酔っ払ったテンションでピアノ弾き語りするくらいのフランクな感じでもいいのよ?という気でいる。なんだったら音声のみでも良いわけでね。それならスタイリングも要らないし、ヒカルも歌声で勝負ならのぞむ(望む/臨む)所だろう。

でも、例えばカバー曲を歌おうとかだと色々と制約があるのかもねぇ。ヒカルはプロのミュージシャンだし、直接はお金取らなくても宣伝活動の一環になってしまう。未だに昔のストリーミング(動画のダウンロードだったけども)で心残りなのが、グリーン・デイの「ブールバード・オブ・ブロークン・ドリームス」のカバーがDVDに収録されなかった事だ。本家より遥かによかったから怖気付いたのだろうな。(と言っておきます)

というようなこともある為、インスタライブでカバーを歌うといっても素人のように気楽には出来ないのかもしれない。自分で書いた曲の方が権利処理については気楽なのかなぁということになるが、こちらはなんかキャリアの一環というイメージがついて本気度が上がってしまうので、その意味で気楽じゃなくなりそうなのよねぇ。うぅむ、結構難しいな。

ならば例えば「詩の朗読」とかやってくれたらかなり嬉しいのだが。でも十中八九ヒカルは恥ずかしがってやらないだろうなぁ。『Deep River +』のオープニングを飾る散文詩や『UTADA UNITED 2006』の『Untitled』とかをインスタライブで朗読してくれたらかなり痺れるんだけどねぇ。

『夕凪』を、カラオケをバックに歌詞朗読してくれたら、なんてことも思う。あれ、ガイドヴォーカルならぬガイドヴォイスが歌詞を先んじて呟くパートがあるから、だったら全編呟いても面白いんじゃないかなとね。

同様に、『誰にも言わない』をバックに国木田独歩ワーズワースの詩を詠むのも乙なものだろう。「サントリー天然水」CMの完全版みたいな感じでね。

しかし大本命は宮沢賢治の『春と修羅』の朗読だろうか。『ヒカルパイセンに聞け!』で

『なんだかんだ言って宮沢賢治の「春と修羅 mental sketch modified」以上の衝撃を受けることはないぜ。』

と宣ってた1篇だ。これをヒカルが朗読したら強力だろうなぁ。いや、これだけ思い入れが強いと、本気でいつかバックトラックを自作した朗読をオリジナルアルバムに収録してしまうかもしれん……インスタライブで気軽にやれるヤツじゃないのかも……。

嗚呼、なんだろう、色々考えても、自分で自分のラジオ番組のジングルを作曲してしまう凝り性のヒカルが「気楽に歌って/詠んで配信する」イメージが湧きづらいんだよね。「やるからには」ってなっちゃうんだよなぁ。まぁ仕方がないか。昨年5月のように、しっかり準備されたインスタライブを、1〜2年に1回くらいのペースでやってくれる事を祈っておきますわ。ほんと、今考えても「五週連続」は贅沢だったなぁ……夢だったのかもしれない……(<気を確かに持ちなさいな)。

25日だからじゃないですがこんな話題。

昨年音楽業界で盛んに言われていたのが「オンライン・ライブ・コンサート」で、2020年に現れた新業態みたいな扱いすら受けていたのだが、10年以上ニコニコ動画の生放送に親しんできた身からすれば今更感が凄かった。コンサートのオンラインチケットは早い段階で利用していたしね。日進月歩どころか秒進分走のWebの世界では周回遅れどころか前時代の遺物であったとすらいえる。

なのだけど、ニコニコ動画の凋落ぶりは周知の通り。「どうしてこうなった」と言われて久しい。単純に中の人が入れ替わったかららしいのだが主だったサービスは日本国内でもYouTubeなど他の動画サービスに取って代わられつつある。どれだけ時代に先んじていてもそこから規模を拡大するのはまた別の話なのだ。技術や発想は真似されてるだろうけどね。実況コメントで生放送を双方向で楽しむというのも然り。

「それを言うなら宇多田ヒカルは18年前にもうやってるじゃん。双方向生配信。」と言われそうだが、ほんとその通りでな。2003年1月19日のライブストリーミングイベント『20代はイケイケ!』は、なんと自前のプラットフォームからの配信だったのだ。htmlサイトに動画URLを埋め込んで自前のチャットルームを設えて。どんだけ金使ったんだという話だが視聴は無料で会員登録やログインすらなかった。アクセスURLを打ち込むだけで誰でも観れたのだ。結果百万人だかのアクセスがあったらしいが、当時はスマートフォンなんてものはなく、ガラケーでは動画生配信はほぼ観れなかった事を考えるとこの視聴率は驚異的だった。今の感覚でいえば1000万人くらいの感覚だろうかなぁ。

そんなことが出来たのもちょうど特大のスポンサーがついていたからで、当時『COLORS』をCMソングとして提供していた『TOYOTA Wish』が、その『20代はイケイケ!』配信中、視聴者一名様に抽選でプレゼントされる位だったのだ。地上波ゴールデン番組並の太っ腹であった。更に各地のレコードショップと中継を繋いだりね。それだけ予算がかかっていたのだ。

その後もヒカルは何度かストリーミング企画を催すが、時代と共に配信プラットフォームも整備されていき自前で用意する必要はなくなり、今やiPhone一台で配信と双方向対話と中継まで出来るようになった。弾き語り程度なら歌まで聴けた。ほんと、インスタライブすげーよな。まぁ、それも大体は10年以上前からニコニコ動画生放送で出来てた事なんだが、時代の流れを掴めるかどうかって大きいんだねぇ。

今年もまた5回とまでは言わないから、1回くらいインスタライブやってくんないかなと、しつこく言い続けようと思いますデス、ハイ。

They don't waste your time !

世が世ならばこの後日付が変わるタイミングで「シン・エヴァンゲリオン劇場版:||」が公開され『One Last Kiss』の全貌が明かされていた筈だった。恐らく、伏せられたままのトラック2&8も。

このタイミングで新しいCMが流れ『One Last Kiss』の新たな歌詞が判明するというのも、当初計画されていた通りなのかな。しかしその後は総てが先送りだ。

ただ新曲を待つだけなら生きてさえいればいつの間にか辿り着けるのでそうそう痺れは切らさないが、この、ほんのちょっとだけ知ってる状態で待惚けというのはなかなかに焦れったい。慣れよう。

事態は総て流動的だ。一向に感染症禍が収まらなければ映画は公開されないままずっと行く。一方、ヒカルは新曲を重ねて新しいアルバムを発表することは出来るだろう。となると、どこかで『One Last Kiss』が映画と無関係に全面公開され先行発売される未来も大いに有り得る。

どのタイミングで決断するかが難しい。どうにも映画の見通しが立たないとなれば一日でも早く出したいだろう。恐らく、後がつかえている。一方、どこまでも一蓮托生を貫いて、アルバム本体発売ギリギリまで待つというのもひとつの手だ。その場合、EPICSONYはEP『One Last Kiss』の存在を一旦忘れて、宇多田ヒカルの他の新曲を予定通りにリリースしていく事になる。映画の公開が決まればさこですかさず、ね。

どちらも茨の道だよねぇ。プロモーション日程を策定する部署は気が気ではない。タイアップ相手との事もあるし、同じレコード会社の他のアーティストたちとの兼ね合いもある。そうそうビッグネームを時期的に偏らせる事も難しいだろう。

本当に詰んでるなぁこれは。

我々の方は、でも、のほほんと待ち続けるだけなので気楽なもんだわな。ロンドンは世界の中でもかなり酷い状況のようだし、昨年に引き続いて今年も多くの活動が一時停止されたままになりそうだ。だからこそヒカルはますます歌うだろう。それはきっと揺るぎない。感じる心は留まれないのだから。