#英語で五七五

おっと、言ってる間に次のInstagramが更新されたか。「PRAY」という手書きが記された緑のシールをニューヨークの地下鉄でめっけたと。"My find of the day", 本日の拾いモノ、今日の気づきのシリーズっすな。

で、『#英語で五七五』というタグがついてた。トレンドなのかと思ったが投稿者はヒカルだけの模様。ほーん。で、これどっからどこまでで五七五なの?(笑)

@utadahikaru :

NYの地下鉄でみっけた 「祈る」 My find of the day, on the NYC Subway, P•R•A•Y PRAY #English Haiku #英語で五七五

…多分こうか? 「My find of the day,」「on the NYC Subway,」「P•R•A•Y」─ちと苦しい(笑)

毎度言っているように七五調とはエイトビートである。「タタタタタンンン・タタタタタタタン・タタタタタンンン」のリズムに乗るように読むのが俳句だ。このビートが前提にあるから「七・八・七」の字余りが許される。逆から言えば、エイトビートに乗り切らない「七・八・七」は難しい。

例えば、「斜向かいにて・見目麗しくあらん・ツツジの垣根」に較べれば「向かいの垣根

・麗しく咲く夜・ツツジの通り」だと少し頭でっかちに響く。助詞の「にて」だとビートが弱く、名詞の「の垣根」だとビートが強いからだ。ここらへんは法則性もあるにはあるものの主観性が強く、個々の判断次第だけどね。

このように、英語でも七五調を表現するなら字数ではなくビートの強弱と八の倍数の拍に注目せねばならない…ってあれ、この話の続き、要る?(笑) 次何書くかはその時になってから、だね。

くまの故郷

ヒカルの歌詞は母娘の関係性から生まれた感情を多くの場合男女などの恋愛関係に入れ換えて構成されている。いわば性差や親等を相対化して自由に扱う事で独創性を担保しているともいえる。

本来それらは作詞の技巧面の話でしかなかった筈だが『真夏の通り雨』でヒカルはそこから一歩踏み込むようになる。作詞上のトリックだった筈のものが実際の心理(人格)構成に於いての実践として捉えられるようになっていく。これは特に難しい事ではなく、ヒカルが直接独自に言う通り親子の愛情を会得する事で例えば男女間の恋愛感情の萌芽への切っ掛けとする、といった話だ。まさにヒカルの伝統的な作詞そのものである。

ここに到る中で、少数派であった「女性を勇気づける歌」の立ち位置もまた変わっていく可能性がある。

前回の日記のタイトルは『Poppin'』からの引用だが、パーティーをしてボトルを空けて「女の子は男の子より優れている(事もあるよね?)」と呼び掛けるそのトーンは、日本語の歌から最も遠い、有り体にいえば"Americanize"された曲調に彩られている。それについてそもそもを考えると、日本には、日本語圏にはそういった力強い女性観(自画自賛)というものの育つ土壌がなかったのではないかという思考の飛躍をしたくなる。

今回のInstagramが英語のメッセージとともに呼び掛けられたものであると想起しよう。『くま'ず・ぶっく・くらぶに入りたい人居る?』─もしかして、ヒカルが"join"という単語を使ったのは初めてかもしれない。そこまでは流石に確信は出来ないものの「珍しい!」と思ったのは確かだ。クラブに加わる加わらないというような言い方もくまのこ教以来か。それと『Poppin'』の“男女を分ける”感じに通じるものを感じるのだが…という話からまた次回、かな。ちょっとわかんない(笑)。

Girls, you know we have it better than the boys ?

女性解放云々の文脈で語る時にまず留意することはアーティスト宇多田ヒカルとしての活動と個人の宇多田光としての活動を分けて考える事である。まぁそもそも後者に関しては殆どこちらに情報が漏れ伝わってこないので憶測で話すしかない─いや話すこと自体憚られる、か。そこはある程度想像で補うしかないやね。

で前者の活動に関していえば、寧ろそういった女性解放云々の影はかなり薄い。特に女性を勇気づけようとしている気配はほぼほぼ無く、いざ応援するとなると『Keep Tryin'』や『Kiss & Cry』にみられるように老若男女全体が対象となる。

もっといえば、ヒカルのアーティスト活動、その中でもとりわけ歌詞に関しては寧ろ世に氾濫する性差を強調した内容とは一線を画し、性差や女性性を一歩引いて相対化するところから始めているとすら言える。

実際、ヒカルの作詞術は、どちらかといえば両性に当て嵌まる事柄をひとつの歌に歌い込む所に重点が置かれていて、性別が強調される『ともだち』や『Poppin'』のような曲は少数派に数えられる。各個の楽曲は兎も角、全体としての傾向からは女性解放的な視点は強くない。

だからこそ、先日のInstagramのようにそういった"思想"が見え隠れする(いや今回は隠れてないか)メッセージがあると目立つといえば目立つ。こちらの印象としても、卓抜した作詞家だとか大富豪だとかいうステロタイプなアーティストとしての横顔から離れて「女の子の味方」としての宇多田光を垣間見れた気がしてなんか嬉しい。

昨年横アリと幕張で客層観察(いつもしてまーす)をして印象に残ったのは、20代~30代くらいの女子同士のカップルの多さだった。恋人同士かはさておきね。チケット販売の性質上2人組だらけになるのは当然なのだが、所謂"J-popの大スター"のコンサートに於いて男女カップルがメイン層の座を明け渡すというのはかなり特異なのではないか。

アーティスト活動の中では然程強調されていない「女性を応援する」アティテュードが、どうやってそういった客層を刺激しているのか…という話からまた次回、かな。

Outsiders' Feelings

映像商品の話はツイッターでする。私が飽きてるので。

それよりちゃんと書き留めておかなきゃいけない方を。4月22日朝のInstagramの話ね。

「膣・再教育」というタイトルの性器をデザインした表紙の書籍を手にヒカルが纏っていたデニムジャケットのブランドを特定班が突き止めてくれた。H&M傘下の"MONKI"というのだそうな。あたしゃ当然知らなかったがそのブランド・コンセプトが

「女性に自信を与え、クリエイティブなマインドを刺激すること」

だというのだから聞き捨てならない。このInstagramは非常にメッセージ性の強いポストだったといえる。

ウーマンリブとかフェミニズムとかリベラリズムとか種々の呼び方で呼ばれてきたが、ヒカルが世界中で抑圧され自由を奪われてきた女性たちとそれを解放しようとする活動に強い関心を持っている事には疑いが無い。発言の端々にそういった思想が滲んでいる。

「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」とボーボワールが著作「第二の性」で言い放ってから再来月で70年。しかし一向に事態は進展していない。それどころか例えばこの日本語を使う国に於いては最近退化・後退している気配すらある。ヒカルが英語の著作を手に持ち、僅か3年で日本から撤退したスウェーデン発のブランドを身に纏って英語でInstagramをポストした意味を考える必要があるんじゃないだろうか。

「膣・再教育」は今年上梓されたばかりの著作で日本語訳はまだない。いや、将来もないかもしれない。日本語圏に居場所を見出せない思想なのかもしれない。

で。著者のリン・エンライトをInstagramでフォローしているヒカルの関係者としてアジア系のリナ・ヤンがいる。昨今のヒカルのビジュアル面をサポートしているスタッフの一人だ。彼女がヒカルにリン・エンライト女史を紹介したのかもしれないし、逆にヒカルがリナに教えたのかもしれない。何か前者な匂いもするが詳細はわからない。

ヒカルがTwitterにしろInstagramにしろ英語でメッセージを放つ時、言い方は悪いが日本語圏に居る人間は二の次と考えている。何しろマスメディアが英語を忌避しているの位だから。その気になればイタリアの結婚式会場にも飛ぶ割に、誰でも読めるWeb記事の英文インタビューで「えぇ、今恋人居ますよ」と平然と答えているのに誰も反応しなかった。そこは取材しろよな…(え、それがお前の本音だったの?(笑))。

こほん。兎に角。日本語だけでは残念ながらヒカルからのメッセージを総て受け取れない。出来るだけサポートはするが、それでも、疎外感をしっかり味わって貰いたい。実はそれがヒカルが我々日本語圏民に気付いて欲しい感情だからだ。嗚呼、この話は長くなるな…。

追加生産決定

やれやれ、案の定『Laughter in the Dark Tour 2018』映像商品の増産が昨夕に決まった。これで様々な問題も解決するだろう。ストラップについての記述があやふやだが、もしかしたら予約者全員配布を視野に入れて協議中なのかもしれない。明らかに梶さんの心身の体調が危険域なので、ゆっくり待つことにしよう。まともに寝てないんじゃなかろうか。

で。色んな事はツイッターに書いたな…。触れ忘れてるのは、あれだ、すーさんの呟きか。昨日の時点でAmazonマーケットプレイス上において75軒の高額転売が確認されたとか。幾つもあるECサイトのうちのひとつでこれなのか。各業者何点ずつ確保に走っているかは未知数だが、やはり数百というより数千単位で買い占められていそうだ。これはキツいわなぁ。

これだけでも追加生産が英断(というより無茶?)なのがわかる。需要に見合う量を供給したとすれば、発売前にこの数千個分がまるごとキャンセルされてしまうとその数千個がそっくりそのままダブつくのだ。まるまる損益である。数百個レベルで済んでいればロット生産のスケールメリットでカバーできるかもしれないが、数千個レベルだとそうはいかない。勿論、転売業者がキャンセルせずに買い取ってくれれば済む話だがそうはうまくいくまい。

故にこの追加生産はレコード会社が身銭を切って顧客の需要に応えている可能性がある。これはそう喜ばしい事態ではない。次からの宇多田商品企画へのブレーキになりかねないからだ。どれだけ親会社が巨大だろうと所詮はユニバーサルからやってきた外様アーティストだ。利益を生み続けなければ社内での影響力も落ちる。是が非でもこの映像商品で利益を上げて欲しいところだが、これで難しくなったかもしれない。

ストラップの件もそうだ。早期予約を促す為の先着特典だったのだから、増産すればするほど赤字が増す収益構造になっているかもしれない。ここもまた痛い。兎に角今は梶さんはじめRIAのA&Rスタッフの皆さんが心労で倒れない事を祈るばかりだ。

…上記の推測が全部的外れで実は売れまくってウハウハなんですー!だったらいいんだけどね。そこはヒカルの呟きから推測するしかないだろうな~。言葉のトーンに、気を配れ。

引き続き品番とお値段の話

ディスクが2枚以上あるのに商品番号はひとつだけ、なんていうケースは結構ある。が、逆は記憶にない。商品の数より商品番号の数の方が多いだなんてな。

もう金曜の夜だから週明けまでは返信は期待してはいけないだろう。取り敢えずこっそり番号が修正されてた、なんてこともないみたいだし(笑)。

手違いでなければ何なのだろう? 日本レコード協会の定めるメディアの商品番号基準には恐らく写真集というか付属の冊子も含められるだろう…読むの面倒くさいので読んでないんだけど(笑)、ウェブサイトに載ってるだろうから興味のある人は確認してみてくれれば。

確かに、CDのライブアルバムがついてるとしたらサプライズなんだけどねぇ。ESXLはEPIC SONYBlu-rayにつけられる番号だからな…。それに、CDにしたら2枚組か3枚組になるよねぇ。欲しい…

。(本音)

もうひとつ考えられるのは、ミュージック・ビデオのディスクも元々Blu-ray&DVDだった可能性ね。これなら4枚組になる。本編はBlu-ray&DVDなのになぜMVはDVDのみなのかは皆疑問に思う所だろうが、これは単純にコストの問題なのではないか。前に書いたようにBlu-ray&DVDをBlu-ray単品にしても大して値段は変わらないが、DVD単品をDVD&Blu-rayにすると値段が上がる。当初は4枚組も考えられていたが、価格が10000円を上回ってしまう事になるので泣く泣く断念したのではないか。で、DVDとBlu-rayのどちらかとなればDVDを残す一択しかない。残念ながら…という訳だ。

本来なら9800円とか9900円にしてきそうなところを10000円にしているのは、切り詰めに切り詰めてもそのあと100円か200円を削れなかったのではないかなぁ。お値段は結構なものですけど、それに見合ったコストパフォーマンスの高い逸品になっていると思いますですよ…。

3つのディスクに4つの商品番号

前回の内容を軽く纏めると。要は売り手側と買い手側の双方に利のあるパッケージを作ったってこと。WIN-WINてやつだね。ただBlu-rayだけが欲しい人はDVDを抜いても大して値段は変わらないが、DVDだけ欲しい人は確かに割高だ。そこを損だと言われるとその通りなのだが、将来Blu-rayに乗り換えた時にまた観ればいいと考えれば…やっぱりダメ?(笑) いずれにせよ価格がそもそも10000円という結構なお値段なのでBlu-ray単品やDVD単品を仮に発売してもそんなに値段は変わらない筈ですよ、ってことだけ踏まえておいてくれれば。

で昨夜@Hikki_Staff宛てに質問リプライを投げて返事待ちなのだが。ひとつ気になる事があったのだ。この商品の商品番号である。

「ESXL-174~177」

と書いてある。つまりは174,175,176,177の4つの商品が入ってますよという表記なのだ。しかし、写真をみるとディスクは3枚のようだし各通販サイトにも内容3枚と書いてある。商品番号1個多くね?

この商品番号というのが結構難しくてな。慣習というか普段の感覚としては商品に入ってるCDの枚数だと捉えておけばいい。しかし厳密には商品番号を割り当てられる商品は多岐に渡る。かなり幅広く「出版物全般」に付与できると思っておいていい。

なのでディスク3枚プラス写真集の計“4枚”が入ってるのが裸婦抱く円盤なのだという解釈も有り得る。ここの返事待ちなのだ今。

で。返信が来るか来ないかわからないから先に書いとく。この商品番号表記が何らかの手違いであった場合、実はそもそも4枚組の商品だったのではないかという疑いが生まれるのだ。商品番号を取得するのも有料なのでおいそれとは間違えられない筈なのだが、ギリギリになって“お蔵入り”していたディスクがあるとすれば…なんていう妄想も返信が来ちゃったら出来なくなるので今のうちに愉しんでおくことにしますかね。という訳で次回は何を書くことになるのやら戦々恐々でございます(笑)。