無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

NoPast,NoFuture,NotGuaranteed.

歌の世界というのはとても短い。歌手寿命もそうだし流行の移り変わりもそうだが、歌の中の世界の物語の持続時間自体が短い。どんなストーリーもPopsであれば5分ほどで済まされ切り上げられ次の世界へと移ってゆく。掌編小説とか、読み切りばかり掲載された漫画雑誌みたいなものだ。数分堪能した後は、すぐ忘れられてもう次である。

勿論それは近年のPopsの話であって、クラシックであれば数十分の楽曲は珍しくないし、オペラなら日を跨ぐ事もある。プログレはアナログレコードの収録時間限界に挑戦した。しかしまぁ取り敢えず宇多田&UtaDAにとっては約5分の世界がずっと続いている。

漫画の喩えを出したが、これが雑誌連載であってもストーリーの続きものであれば作品としては継続してゆく。昔に比べ続きものの漫画が長期連載になっているのが最近の傾向で、ゴルゴ13こち亀は短いエピソードの集まりだがONE PIECEは完全に(タイトル通り)ひと連なりの物語である。

続きものの利点としては、その時に少々面白くなくても、期待感さえ持たせられればある程度OK、という側面がある。期待感を煽れるだけの内容がつまりは必要なのだが、そこさえクリア出来れば受け手を"満足"させるのは次の回以降でいい。当然その期待感の分だけハードルが上がる訳で、これは未来から読者の注意をレンタルしてるようなものだ。破産した時が恐ろしい。

一人の音楽家の音楽をずっと追い続けるという事は、その両方を堪能する事である。かたや5分の読切楽曲の中でその時その瞬間を満足し、かたやその次々と現れる5分の連なりに、その音楽家の人生を見る。歌の流行廃りは儚いものだが、人の営みは続いていく。ただ、後者の"ひとりの音楽家の人生を堪能する"というのは、そこに何かの物語を見いだせねば機能しない。ここが難しい。

更には、光自身がそういう見方を好んでいないかもしれないという虞もある。歌ひとつひとつの好き嫌いで判定してもらって、別に私自身のファンでなくてもいい。それは、裏方ならではの志向といえるかもしれない。儚い栄枯盛衰に身を置きたくない、のもあるかな。それはないか。兎も角、光はどちらかといえばその時その瞬間の"満足"を狙っているのであって、期待感とか希望とか夢とか、その先の連なりに委ねるのは性に合ってないのかもしれない。

未来に保証なんてない、そう歌う精神は、つまり今歌ってる歌だけで受け手を満足させなければならないプレッシャーに満ちている。この態度自体が、歌の5分だけの世界を作り上げ、受け手を満足させるのだ。我々はHappyである。でも、やっぱりこれだけいい歌を聞かされ続けてきたら、どうしたって未来に期待しちゃうよねぇ。そのバランスは、確かに難しいのでした。