無意識日記々

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youthを有す歳として。

前回のエントリーから解るように私はことミュージシャンに対しては年齢を重ねる事に肯定的だ。いや、60歳まで現役でやって一人前、そこからの10年そのジャンルの体現者になって欲しい、位の事を考えている。メタルでいえばオジー・オズボーンMOTORHEADなんかがそのクラスだ。フェスティバルのヘッドラインを安心して任せられる風格。かっこいい。いやまぁ幾ら何でも一人前って言葉を狭義に捉え過ぎてるけどね。

そこまでいかなくても、やはりLIVEにしろ曲作りにしろ20年続けてきた人たちには若いモンにはない奥行きがある。音符ひとつ取ってもその後ろに物語が見える。人によっては「味がある」と表現するかな。今出す1音に歴史を載せられてしまえば若いモンは太刀打ちできない。スポーツとかは違うだろうが、こと音楽に関してはベテランを好む傾向がある訳だ。

そんな私でもやっぱり「若いっていいなぁ」と思う事が多々ある。崖から落ちる事も厭わない向こう見ずな疾走感。本当にそのまま崖から大空に向かって飛び立てちゃうんじゃないかと思えてくる。これから新しいものに出会って学んでいくダイナミズム。まだ何も描かれていない白いキャンバス。そこから何か思いも寄らぬものが生まれてくるんではないかという期待感。若さのよさというものを、普段年輪好きだからこそ素直に讃えられるのだ。

しかし。ことヒカルに関しては「若さ」って何だったのだろう?とふと疑問に思う事がある。今はもうアラサーなのであんまり若いと言われなくなった。それでも十分若いんだけど。

彼女は常にその若さを引き合いに出して語られてきた。今でも「この曲を書いた当時の宇多田ヒカルって15とか16とか17だったんだって!」とお母さんのヒット曲を知らない世代からのツイートが流れてくるが、その驚きは「こんなに若いのに大人顔負けの」という類のものだ。

ここにささやかな勘違いがある。ヒカルは15歳の頃「若い割に」凄かったのではない。その時点で既に多くの点で(少なくとも日本人の中では)ほぼ総ての大人より優れていたのだ。スポーツ風にいえばジュニアチャンピオンでなくシニアチャンピオンなのだ。デビュー当時からずっと。売上に関しては色んな人たちに譲ってきた感があるが、ミュージシャンたちに訊いてみるといい、いちばん評価の高いミュージシャンは未だに宇多田ヒカルである。彼女より総合力で優れていると豪語できる邦楽アーティストは多分居ないと思われる。98年、15歳の頃からずっと、だ。美空ひばりが生きていたら、と思わずにはいられない。彼女が現役で力を発揮し続けていれば或いは…いや年齢的に厳しいか。その前にそんなたらればの話はいいや。美空もまた天才少女として名を馳せたらしいが、恐らく、最初っから大概の大人より優秀だったのではないだろうか。彼女より年上の世代のひとたちに訊いてみたいものである。

という訳でヒカルにとっての「若さの割に」というのは年齢という"ただの数字"に付随する噂話のようなもので、実質的な意味は乏しい。

さて。ではヒカルが15の頃の「若さならでは」な面って、どんな風だったろう。注釈の要らない、ただ歌を聞いた時に伝わってくる「若さ」っていったい何だっただろう。

最初に思い出されるのは「自分が10代だからおじさんたちよりも10代の女の子の気持ちがよくわかる」といった趣旨の発言だ。初出どこだっけ。これなんかは非常にわかりやすい。餅は餅屋、10代に響く歌詞は10代に。なるほどそれはあっただろう。

しかしそれは「若さのメリット」ではあっても若さの表現ではない。場合によっては、同年代の人間よりその年代を通ってきた年配の方が気持ちを理解してくれていたりする。年代が近い分、理解できるファクターが多くて有利だったろうが、果たしてそれは歌詞に若さが煌めく理由となっていただろうかという話からまた次回。