無意識日記々

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雲一つない青空

今日は2012年9月3日。ドラえもんの誕生日だ。彼は2112年生まれだからちょうどマイナス100歳。鉄腕アトムの誕生日は随分前に過ぎてしまったが彼の場合まだ100年残っている。果たしてロボット工学はどこまで進んでいるだろうか。これを書いてる方も読んでる方も見届けるのは至難の業だが。RUSHも70年代に名作「2112」をリリースしているし、これくらいの年代が、20世紀のあの頃を生きていた人間からすれば「手頃に手が届かない遠い未来」への距離感だったのだろうか。北斗の拳の199X年は幾ら何でも近すぎたけれど、20世紀、日本でいえば昭和の時代、『思い出せば遥か遥か 未来はどこまでも輝いてた』のだった。

今のこどもたちは"輝かしい未来"という漠然とした感覚を覚える事があるだろうか。オリンピックで金メダルをとる、みたいな具体的な目標を持たない限り未来は不安と恐怖の対象でしかないかもしれない。何しろマイルドインフレも一度も経験した事がないのだから明日が今日よりよくなる感覚なんてほぼない。一方で、ムーアの法則に準じてITの世界は怒濤の進歩を遂げてきた。未来は輝いていなくても"今"は常に動き成長している。気がついてみればこれは完全に気の持ちようの問題である。

『大きな看板の下で時代の移ろいを見て』きた宇多田ヒカルという人に"未来"が訪れるのは「次世代」を意識した時だろう。別に自ら生まなくとも、何らかの"教え子"が居さえすればよい。その感覚は『もう一度父と話したい 晩年のある男の願い』という一節に確りと刻まれている。それにしてもJ-popの文脈で歌詞に"晩年"て単語他で出てきた事があるのだろうか。これだけでも凄いわ。

こんな、"時間が経てばわかる"と歌いながらデビューし、22、3歳にして老人が人生を振り返るような歌詞を書いた人間が、これから100年どんな歌を唄うのか。確かに、もう夢はみられないかもしれない。みれても悪夢で現実の方がマシかもしれない。『何も知らずにはしゃいでたあの頃』って、光に本当にあったのかな。あったはずだよね。だからそう歌えたのだろうし。来年30歳か。誕生日が楽しみだ。