無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

Face Down

今日は終戦記念日か。Hikaruも言いたい事はやまほどあるように見受けられるが、今までは最低限の発言しかしていない。くまちゃんが千円を手にしておかしくなるサマなどは痛烈な批評精神の表れだとは思うが、そういう風にみられない為の工夫であるのだから、、、大したものだ。

こういう話は、確かに面倒だ。そして、そうやって冷静に疲れられる人間は、いつも単純明快に突っ走れるレイヤーの暴走を許す。この国の場合、、、いいや、面倒臭い。

情報洗脳合戦の本質は、情報を情報として扱えるかどうかにかかっている。本を読むのが好きな人間は、大抵、字を見ているのではなく、そこに広がる世界を見ている。皮肉な事に、即ち、本を読むのが好きであればあるほど、字を読むのが好きであればあるほど、それがただの本であること、それがただの字でしかないこと、それが純粋な、本当か嘘かもわからないただの「情報」であることから、離れる。字でしか読んでない事を、まるで見てきた事であるかのように語れてしまう。

お陰で、一度も会った事のない人間を好きになってしまったり、顔すら知らない人間に対して人生を投げ打って憎悪をぶつけ続けたりする。お疲れ様。嗚呼、面倒。

虚構は虚構のままに楽しめればよいのだが、現実から完全に離れてしまってはそもそも言語は言語として機能しない。太陽という言葉は、現実の太陽がそこになければ何の意味も持たせられない。そう思って現実から一切離れて言語を構築しようとしたのが現代数学だが、これまた皮肉な事に、現実を最も正確に描写できる言語はその極度に抽象化された現代数学だったりする。嗚呼、また話が逸れたな。面倒臭い。

Hikaruは1年前の今日、誰かの願いが叶うころの歌詞を引用して心境を綴った。話が大きすぎる以上祈る位しかすぐ出来る事はないのだけれど、有名人という存在は、一言々々に影響力があるようにみえて、現状をすぐ変えられる訳でもない。ただ火を点けるキッカケにはなれる、という程度の事。点いた火がどこにどう飛び火するかは、一人一人がどういう人間であるかにかかっている。なので、一人一人の心を、毎日少しずつ耕していくしかない。長い長い道のりである。そんな先の事まで考えるのは憂鬱だ。ひとまず目先の事、例えば次の収録を頑張る、とかそういう所から始めなくては。伝わるものも伝わらない。『全人類を救って幸せにする方法をみつけたって、それをみんなに伝えることができなかったらな〜んも意味ないもんな!』