無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

前回から続かない(笑)

落ち着いて報道を見返してみると、と言える程情報収集していないのだけれど、稀代の名歌手という側面と、宇多田ヒカルの母という側面と、両方あったようだ。

何しろ藤圭子といえば活躍したのが1970年代前後というから、なかなか映像が残っていないだろう。当時はNHKですらVTRが高価だという理由で映像を消去上書きしていたのだから。テレビで流れる映像の多くは、民間人が個人的に録画保存していたものだったりするらしいし。中にはそれを素材にしてDVDを出すなんてケースまである。今回ワイドショーがどれ位そういった"蔵出し映像"を出してくれたか知らないが、あらそういえば徹子の部屋の追悼特集はまだ?いつ? 一回出た事あるんだよね。

寧ろ光が生まれてからの映像の方が多い位じゃなかろうか。そちらはつまり「宇多田ヒカルの母」としての側面だ。ことテレビに関して言えば、この映像素材の使い勝手から、自然に「宇多田ヒカルの母」としての藤圭子の特集を組む事になった、という事は有り得る。

しかし、彼女は日本不世出の名歌手である。1stアルバム20週連続No.1、21週目を阻止したのが彼女の2ndアルバムで、それが17週連続No.1、合計37週連続No.1だなんて如何に当時の集計方法が未発達であっただろうとはいえ凄すぎる。光がことある毎に「かあちゃんすげぇ」と言うのは単に歌が素晴らしいからだろうが、売上の面から見ても750万枚を売ったヒカルですら到達できない境地に母は居たのだ。ほんま、The Beatlesやないんやから。

っとと、誰でも知ってる話をついつい書いてしまった。そんな事Wikipediaに書いてあるんだから皆読んだ事あるわな。しかし、あんまりにも「宇多田ヒカルの母」という側面ばかり取り上げられるのも違うよなぁ、と、世の中で最も彼女の事を「宇多田ヒカルの母」として幾度となく取り上げてきたBlogの執筆者であるこの私ですら思う。1人の偉大な歌手として、藤圭子は存在したのだ。

ヒカルにとってもそれは同じだ。流石に「母である前に」まではいかないだろうが、たとえ赤の他人であったとしても(力の入らない仮定だなぉぃ)、その歌唱力と実績には大いに励まされたに違いない。これだけ歌える人が、あれだけの若さで、あんなにレコードを売りまくった。あたしだけじゃないんだ。そう思えた筈なのだ。それが本当の親子という奇跡。何なんだろうこの国は。

圭子さんのこの15年間の精神状態の推移を知らない為、本当にそれでヒカルを孤独から解き放てていたかどうかはわからない。もしかしたら、逆だったのかもしれない。であるならば余計、ただの一歌手として、藤圭子の事を見るべきなのだ。その上で、2人が親子であった事を噛み締めたい。なんとも、奇跡的に稀有な家族である。