無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

なんだよそのラスト1行(笑)

昨日は昨年亡くなったうちの祖母の誕生日だったのだが、「そういえば故人をお祝いするのは命日で、誕生日云々というのはきかないな」とふと思った。生きていれば101歳だったのだが享年の考え方からすれば彼女はこれからもずっと100歳のままだから…などと余計な事は考えずに、素直に「おめでとう」と伝言しておいた。今死んでいようが人が生まれてきた事自体は永遠にめでたいのだ。

明日は故・藤圭子さんの誕生日。ひかるはどんな気持ちで迎えるだろうか。恐らく、毎年昨日の親友さんのお誕生日からの続きで否応なく思い出してしまうだろうから、戸惑う事なく毎年と同じような気持ちで過ごせばいいと思う。今御覧のように私の方は祖母が圭子さんと誕生日が3日違い、命日が2日違いとなったので私もきっと毎年セットで思い出すだろう。ついでだついで。

昨年の事はHikaruもまだまだ尾を引いている。プライベートは勿論だがそれは察するに余りある。特に我々に関係するのはマスメディアへの対応で、更に今年の結婚報道(…報道?)を思い出すと、次に復帰した時にまともにメディアの前に出られるのかという疑問が残る。インタビューは信頼できるオフィシャル・インタビューアが居てくれるからいいとしてそれ以外のメディア取材やテレビ出演など、心理的抵抗はどれくらいのものなのだろうか。

"マスメディア"と乱暴に一括りにする前に、各現場で出会う人々はまた違う人間なのだから普通に振る舞っている分には影響がない、かな。

もう手遅れだが、もしヒカルのファン層がずっと若かったらな、とは思う。10代まではそんなにゴシップに興味はない。スポーツ紙や週刊誌を読む事もないしワイドショーを見れる時間もない。噂話は好きかもしれないが専ら学校内の話とかだろう。芸能人に興味を持つといってもスキャンダルは寧ろ毛嫌いする。

…というのは一昔前までの話で、今はもしかしたら違うかもしれない。スマートフォンの普及で、ゴシップに簡単に触れられるようになった。噂話の内容も「TVの向こう側の人」についてが増えているかもしれない。いや相変わらずゲームばっかりやってるのかな。それならいいんだけど。

しかし現実はヒカルのファン層の年齢は上がる一方なので、母親の自殺や二度目の結婚など、ゴシップの格好の題材を提供してる今は、売上は下がるのに知名度だけはこの世代では健在なものだから取り上げられる機会は増える。しかも、売上が下がるという事はそれだけバッシング記事も書きやすい。至れり尽くせりの状況が出来つつある。

先程触れた通り、ファン層が若返ればそれは改善される。信奉するアイドルのスキャンダルを彼らは好まないし、売上にはある程度貢献してくれる。やはり10代後半から20代が望ましい。ヒカルからみれば、今後は「自分より歳下のファンを耕す」という今まであんまりやってこなかった作業にも取り組む事になる。そして、そろそろ、小さい頃に「みんなのうた」でぼくはくまに触れていたこどもたちがティーン・エイジャーになり始める時期である。あの頃に蒔いた種がどういう育ち方をしているか。あの歌はこの世代にどれ位の影響があったのか。それがそろそろわかり始めるんじゃないかな。

もしかしたら、ぼくはくまって、ヒカルが物心つく前にお母さんが耳元で歌ってくれていた彼女の創作歌だったんじゃないか、という思いつきの仮説を最後に記して続きはまた次回からのお楽しみ。