無意識日記々

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マーケティングのタイミング

「作ってから考える」。これが難しい。マーケティングの話だ。

大概の場合今は「作る前から考えている」。どこらへんの消費者層に、どれくらいの規模で、どんなものを与えたら、どんなリアクションが返ってくるか。勿論それは期待通りの結果を生まない事も多いし予想を的中させるのは至難の業だが、取り敢えず手順はそんな感じだ。出てきたばかりのクリエーターなら兎も角、名前の通っている作り手はある程度そういう事を考える。作り終わる前からマーケティングは始まっている。

作ってから客を選ぶ事は出来ないものか。出来たものを買ってくれそうな人を、そこから探し始める。大抵の場合、それでは遅い。多くの人が関わっているプロジェクトなら尚更だ。全体を通したコンセプトにそぐうものを提供しないといけない。それが現実である。

リスナーを先に探してから歌を作るか、歌を作ってからリスナーを探すか。二律背反ではなく割合の問題でもある。同じ曲を二度作る訳ではないのだから、必ずある程度リスナーは入れ替わる。DISTANCEとFINAL DISTANCEですらリスナーは異なる。他方、Flavor Of LifeのBallad VersionとOriginal Versionではそういう事は起こっていないようだが。それも結構不思議だな。

タイアップ・プロジェクトの規模と思い入れ。つまり、自分もリスナーであるかどうかは、大きい。ヒカルはEVAを消費する側でもあるから、自身の理想をクリエーターとして反映できる。それは、自らを対象としたマーケティングだともいえる。この場合、マーケティングの前後を考える必要は激減する。EVAファンとしての目線を失わなければ、望まれる姿に近付いていける。それがヴィジョンとして予め見えている必要もない。作ってみながら、自分で修正を加えていけばよいのだ。

つまり、自らが自らの音楽のファンでリスナーであれば、マーケティングに前も後もない。作り始めた瞬間からずっと自分という"最初の市場"に晒され続けるのだから。無論、自分が本当の市場、さっきの例でいえばEVAファンとして"典型的かどうか"という疑問は常に残る。しかしそれでも、例え非典型的であるとしてもアドバンテージである事には変わりがない。自らが自らの作品のファンであり消費者であるとは、そういったメリットもある訳だ。

大体の場合、「一度作り終えたものはもう過去のもの」と言う人はアーティスト気質で、作っていく過程自体に価値を見い出すタイプだから、本来マーケティングとか何とかは介入しない。自らの美的感覚に従って突き進んでいくだけだ。しかし、Popsは市場が命。売り出して聴いてもらわないと成立しない。マーケティングの過程も併せて全体として一つの活動を成す。ここらへんがヒカルの本来的ジレンマだ。アーティスティック且つPopというのは、相当難しい。