無意識日記々

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5歳差の姉妹ってこんな感じか?

This Is The Oneが"妥協の産物"だったかというのは意見が別れる所だろう。EXODUSが徹底して作り込まれた作品であっただけに、その"お手軽さ"はあまりらしくないようにもみえる。その前のヒカルの2作品(ULTRA BLUEHEART STATION)が同じく厚みのある凝った意匠だっただけにTiTOは異色に映る。

制作期間という枷があったのは明らかだ。寧ろあのスピード感をHikaruが当時受け入れた事が驚きだ。HEART STATION制作時から既にミーティングを重ね、最終的ひ点線もほぼ同時リリースするなど正気の沙汰から程遠いスケジューリングだった。特に本づくりの編集長というのは常軌を逸していた。

実際、TiTOの本編は10曲40分足らずで、そのランニングタイムの短さもまた威圧感の無さに通じている。逆にいえば、もしこの路線を続けていればHikaruは"量産体制"に入れていたかもしれない。

ここは、判断が難しい。速く制作を完了出来るならそれに越した事はないが、消耗も相当である。このあと復帰したとして、体力を上回るペースでの活動、特にプロモーション活動とツアー生活については十二分に気をつける必要がある。

スピード感を前提とすれば、TiTOは妥協からは程遠い。他の凝った作品群だってそれぞれに締切はあった訳で、程度の問題といえばそれまでだが、Pop Musicが市場との相互作用を前提とした"ジャンル"である以上、リリース・ペースというのはそのアーティストの受け止められ方を決定付ける要素となる。

そういう意味において、EXODUSとTiTOはそれぞれ"別のアーティストによる作品"という言い方すら出来るだろう。勿論間に5年が空いている訳だが、その間に連続性を見いだす必要はなかった。最初っからTiTOの方法論で2作つくっていたらとか逆に2作ともEXODUSの路線で行ってたらどうなっていただろうかと後から考える事は出来るが、兎も角、TiTOの方が売れた=知られたのは事実なので、次にインターナショナルな作品を作る時はTiTO寄りの発想になるというのが自然な流れだ。順当、と言った方がいいかな。

この2作は、別々に考える必要があるし、同時に、対比として考える必要もある。どちらにせよ通常の1stアルバムと2ndアルバム、という感覚で捉えるのは難しい。もし将来両作が"再評価"される機会があればとも思ったがこうやって絶好の機会であった10周年を通り過ぎた事で選択肢が狭まったかな。また5年後を気長に待つとしますか。