無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

second and the last

昨日は長崎原爆投下の日だったのだが、やっぱり広島に次いで二番目に落とされた事と昼前の投下時刻とで随分と損をしている気がする。だからってこの日の認知度が著しく低下しているのを問題視しない訳にはいかない。パーセンテージを見ると、原爆投下云々よりそもそも歴史に対する興味関心が薄れているのが問題な感じすらする。調査方法にもよるかもしれないけど。

この、"二番目"の問題について、インタビューでこんな事を言う人が居た。「長崎が原爆投下された最後の地になるように祈ります。」と。そうか、二番目というからインパクトが薄いのであって、広島が最初なら長崎を最後にすればいいのか。

これは、未来志向の捉え方である。広島が人類最初の被爆都市であるという事実は金輪際変えられない。しかし、長崎を最後の被爆都市に出来るかどうかはこれからの我々にかかっている。ならば、長崎はもう一歩踏み込んで、言い切ってしまえばどうか。長崎は人類最後の被爆都市である、と。伝わり難ければ、一歩譲って今後も長崎が最後の被爆都市であり続けるよう願います、と。インタビューの感じからは、どうやらそのつもりで動いている人が一定以上居るようだから、今後もそのコンセプトが広がっていくかもしれない。

変えられない過去を反省する気持ちと、変えてはならない未来を守る気持ち。その両方の象徴が広島と長崎になるのなら、随分と強力な発信になるのではないか。そんな事を考えながら、私はというと暑いからって昼寝した。情けないというか何というか、平和ありがとう。


一方、8月9日といえば我々にとっては【久しぶりの大事なお知らせ】の日だ。即ち、人間活動宣言から5年が経った訳である。実際にアーティスト活動がとまったのはその年明けからだから正確にはまだ何も5年経っていないのだが、感慨深いといえば感慨深い。間に結構色々とリリースがあったから何もなしで過ごしてきた訳でもなく、いわばつかず離れずくらいの感触ではあるし、母の死と結婚とハローダヌパがあったのでそれはどっちにしても休みをとる事になってただろうから正直「5年も待ってるんだけど」という感覚は1mmもない。「次はいつどうなるんだろう」というのは、例えばUtada United 2006とぼくはくまの間にもあった訳で、この間約2ヶ月である。今の日々の感覚はその時とさして変わらない。待ち遠しいのは1日だって待ち遠しいのだ。

なので。まぁ5年経ったからといって「長かったなぁ」とはならんのだが(いや、ちょっとはなってるかな)、その時間をHikaruがどう過ごしてきたんだろう、というのは、知らない事が沢山あって、ちょっと興味が出る。日記でも書いてくれてねーかな。書籍化して売ったらアルバムより売れたりしてね。

今週はお盆か。いつにも増してゆったり参りましょう。