無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

2017年05月07日のツイート

おおかみのイントロなはなしだよ

はてさて、今週から動きはあるんかなないんかな。他のジャンルであればひとつのアーティストやコンテンツが小休止したら同じレーベル、同じ制作会社のアーティストなりコンテンツなりをフォローすればよいのだが、ヒカルの場合完全に一匹狼なのでそういう訳にもいかず。という訳で『荒野の狼』の話。

この曲のへんちくりんさは個性際立つ『Fantome』の収録曲群の中でも殊更更に際立っている。オープニングとエンディングを続けて聴いたらとても同じ曲とは思えないくらいに4分半の間にめまぐるしい展開をみせる。最もチャレンジングな曲といえる。

特に曲の始まり方は、衝撃的なまでに奇妙だ。黙って聞かされたら宇多田ヒカルの新曲とは気づけなかっただろうと言い切れる位に今までになかったアプローチである。サウンドがスッカスカなのだ。

最初このイントロを聴いた時、「なぜ日本語タイトル曲ばかりのアルバムにまるでアメリカ市場向けみたいなサウンドが」と訝った。伝統的に、それまで知的で緻密で濃密なサウンドを標榜していたミュージシャンが脳天気なまでにスッカスカなサウンドに鞍替えした場合アメリカ市場を狙って"アメリカナイズ"した/されたとみるのが妥当だ。恐らく、最初にQUEENが"Another One Bites The Dust"をシングルとしてリリースしてきた時に従来のファンは面食らった筈である。70年代末期はディスコですらやや時代の終焉を迎えていたようだからある程度は覚悟していただろうけれど、ベースとドラムスによるシンプルなグルーブは煌びやかなサウンドで知られていたQUEENにとっては新側面だった。

アメリカは本当にこういうシンプルなサウンドが好きで、それはもう50年以上変わらない。ロックでいえばAC/DCの「BACK IN BLACK」は長らくアメリカ市場で歴代国内売上枚数第2位だったというし(昔どんな集計方法をとっていたか知らないけれど)、そもそもラップ/ヒップホップというジャンル自体、アメリカ人が「自分の好きなサウンド」を抽出して作ったものだ(白人文化と黒人文化の乖離と融合は考慮に入れなければならないにしても)。本人たちの意図はどうであれ、こういうサウンドを取り入れた場合「アメリカ市場を狙ったな」と言われてしまうのは常に想定の範囲内である。

で。『荒野の狼』はまさにそういうサウンドから始まる。シンプルで隙間の多い、ベース&ドラムスの作り出す縦乗り気味のグルーヴ。とはいってもそれはAC/DC風のヘヴィロックでもなければラップ/ヒップホップでもない、サウンドの趣味からいえばジャズに近いがジャズ・ミュージシャンはこういう楽器使うっけ?というなんとも奇妙なサウンドだ。初めて聴いた時は歌が始まるまでそんなこんながぐるぐるしてかなり混乱中だった。

もちろんこの曲の凄さはそこからの展開力にあるのだが、まだゴールデンウイークも終わったばかりのところだし、今朝はイントロな話だけにしときましょーかね。

生まれた順にフレーズを並べた曲か

『荒野の狼』の特殊さは、その曲調の落差である。イントロとアウトロを直接聴き較べると、とても同じ曲とは思えない。何故こんな曲になったのか。

自分自身の為にヒカルとは全く関係ない全然別の具体例を挙げながら考えてみたい。自分がよく知っているから、以上にこの選曲の意図は無い。

アイアン・メイデンの2003年の(って、えぇ!? もう14年も前なの??)12thオリジナル・フル・アルバム「死の舞踏(ダンス・オブ・デス)」の6曲目に収録されている「明日への扉ゲイツ・オブ・トゥモロー)」という曲は同作の中でも下から数えた方が早い不人気曲で(人気があるのは「レインメイカー」やタイトル・トラック、そして「パッシェンデイル」だ)、確かにそんなに派手な曲ではない。イントロが流れ出してきた時にはその緊張感の希薄さに「あぁ、一曲前の5曲目がタイトル・トラックで、8分半あるエピック・ソングだったから、ここらへんで箸休め的な捨て曲が来るのかな」と思ってしまうところなのだが、なんのなんの。これがヴァースからブリッジ、そしてサビからギターソロへとどんどんアクセルをふかすように緊張感が高まっていくのだ。曲を聴き終わる頃にはとてもこの曲を捨て曲として通り過ぎれる気分ではなくなっている。確かに本来は捨て曲ポジションの筈なのに同曲がきっちりフックラインを構成したものだから、お陰で同
作でいちばんフックの弱い曲はアルバムのオープニングを飾る一曲目にして1stシングルであった「ワイルデスト・ドリームス」になってしまった。37年前のデビュー当時から今に至るまでこのバンドは1stシングルをアルバムの「最低品質保証曲」としてリリースしてんじゃないかと毎度疑う。普通は「最高品質保証」なんだがな。それはさておき。

明日への扉」が、そのイントロからすれば随分と出来のいい楽曲になった理由は、恐らくこれがジャム・セッションから作り上げられた構成そのままになっているからだろう。即ち、フレーズが、生まれてきた順番通りに楽曲中に並べられているのだ。(と私は推測する)

まずはギターのヤニック・ガーズがイントロのギターを弾く。ここまではそうテンションの上がる感じではない。そのリフを聴いたドラムのニコとベースのスティーヴが「ではこんなフレーズはどうだ」と言わんばかりに演奏に参加してきてバンドは次第に熱を帯びていく…その様子がまるでドキュメンタリーのように封じ込められたのが「明日への扉」という曲なのではないか、とそう思えるのだ。


では。『荒野の狼』は、ヒカルの単独作ではあるが、それは「明日への扉」のように、フレーズの生まれてきた順番通りに構成された楽曲なのだろうか。つまり、確かにイントロとアウトロでは全くと言いたくなる位に別の曲調になってはいるものの、それはとても自然にフレーズが連なって生まれてきたものなのだろうか。今回は長くなったので続きはまた次回のお楽しみ、で。