無意識日記々

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おおかみのイントロなはなしだよ

はてさて、今週から動きはあるんかなないんかな。他のジャンルであればひとつのアーティストやコンテンツが小休止したら同じレーベル、同じ制作会社のアーティストなりコンテンツなりをフォローすればよいのだが、ヒカルの場合完全に一匹狼なのでそういう訳にもいかず。という訳で『荒野の狼』の話。

この曲のへんちくりんさは個性際立つ『Fantome』の収録曲群の中でも殊更更に際立っている。オープニングとエンディングを続けて聴いたらとても同じ曲とは思えないくらいに4分半の間にめまぐるしい展開をみせる。最もチャレンジングな曲といえる。

特に曲の始まり方は、衝撃的なまでに奇妙だ。黙って聞かされたら宇多田ヒカルの新曲とは気づけなかっただろうと言い切れる位に今までになかったアプローチである。サウンドがスッカスカなのだ。

最初このイントロを聴いた時、「なぜ日本語タイトル曲ばかりのアルバムにまるでアメリカ市場向けみたいなサウンドが」と訝った。伝統的に、それまで知的で緻密で濃密なサウンドを標榜していたミュージシャンが脳天気なまでにスッカスカなサウンドに鞍替えした場合アメリカ市場を狙って"アメリカナイズ"した/されたとみるのが妥当だ。恐らく、最初にQUEENが"Another One Bites The Dust"をシングルとしてリリースしてきた時に従来のファンは面食らった筈である。70年代末期はディスコですらやや時代の終焉を迎えていたようだからある程度は覚悟していただろうけれど、ベースとドラムスによるシンプルなグルーブは煌びやかなサウンドで知られていたQUEENにとっては新側面だった。

アメリカは本当にこういうシンプルなサウンドが好きで、それはもう50年以上変わらない。ロックでいえばAC/DCの「BACK IN BLACK」は長らくアメリカ市場で歴代国内売上枚数第2位だったというし(昔どんな集計方法をとっていたか知らないけれど)、そもそもラップ/ヒップホップというジャンル自体、アメリカ人が「自分の好きなサウンド」を抽出して作ったものだ(白人文化と黒人文化の乖離と融合は考慮に入れなければならないにしても)。本人たちの意図はどうであれ、こういうサウンドを取り入れた場合「アメリカ市場を狙ったな」と言われてしまうのは常に想定の範囲内である。

で。『荒野の狼』はまさにそういうサウンドから始まる。シンプルで隙間の多い、ベース&ドラムスの作り出す縦乗り気味のグルーヴ。とはいってもそれはAC/DC風のヘヴィロックでもなければラップ/ヒップホップでもない、サウンドの趣味からいえばジャズに近いがジャズ・ミュージシャンはこういう楽器使うっけ?というなんとも奇妙なサウンドだ。初めて聴いた時は歌が始まるまでそんなこんながぐるぐるしてかなり混乱中だった。

もちろんこの曲の凄さはそこからの展開力にあるのだが、まだゴールデンウイークも終わったばかりのところだし、今朝はイントロな話だけにしときましょーかね。