無意識日記々

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2018年08月06日のツイート

謎解きは終わらない。なあぁい。

そう、『Good Night』の1番のBメロは、基本的に語尾をそのまま音程を変えずに伸ばすだけなのだが、最後の『終わらない』の『ない』だけは、『なーあぁぁい』と音程に変化がある。何故なのか。

答は、何の捻りもなく、「サビで音程が動きまくる」からだ。Aメロでしなやかに浮き立つような感情を表現し、Bメロでやや頑なな強張った感情を表現する。掃除をしていたら昔の写真を発見してちょっと嬉しくなっているところからの、「僕と君との隔たり」についてのやや硬い感情の対比。これを経てからの、やや唐突な『Goodbye』が『Good Night』のハイライトである。

実は最初、サビを聴いた時に「Goodbye to Goodbye」なのではないかと疑った。歌詞カードを一瞥してその疑いは一瞬にして晴れたのだが、2番の歌詞で『さよならなんて大嫌い』と歌っているせいもあったかと思う。

「さよならにさよなら」。感情としてはわかりやすい。もうお別れなんてしたくない。『さよならなんて大嫌い』というのは、そもそも別れ自体が嫌なのか、別れ際にさよならと言われるのが嫌なのか判然としない。「またね」だったら気分よく別れられるのに。

しかし現実は、いや歌の中では7回も『Goodbye』と歌って漸く『Good Night』を絞り出す。タイトルが『Good Night』なのになんで『Goodbye』の方を連呼すんねん、というのがこの歌を最初に聴いた時の第一印象だと思うが、その感じは『さよならなんて大嫌い』と言われて更に増す。大嫌いなのになんでそう何度も言ってるねん、と。

それには、歌を冒頭から丁寧に読み直すのが理にかなっている…から今こうして「行間を読む」行為を繰り返してるんだが、話が前後し続けますな。いきあたりばったりで申し訳なく。でもそれもこの歌の醍醐味なんだからという事で続きはまた次回。

甘えの行方

なんだかみんなヒカルに甘え過ぎてやしないか。『30代はほどほど。』などは、結局ヒカルの歌が素晴らしかったから「まぁ、よかったよね。」ってなってるけど、あんな酷いウェブイベント滅多にないよ。事前に申込みさせといて繋がらないとか。ニコ生でも見たことないわ。まぁ本人もスポンサーの商品をナチュラルにdisるという荒技をやってのけたのだけども。

今年のツアーもそうなりそうな予感。『ほどほど』は無料イベントだったからまだマシだったけど(3Dメガネの件はちゃんとフォローされたし…って、失敗だったことに変わりはないよ!)、一万円も取るライブコンサートで何かやらかしたらと思うとそれだけで涼しくなってくるよ。

ドラマの評判とかも「まぁ歌はよかったじゃん」で色々塗り潰されてる感あるし。私自身はドラマはどちらも楽しんで観てたけども。CM手伝った商品も、中身はというと以下自粛。ふふふ。

逆に別にヒカルに甘えてるんじゃないんだけど結構一緒にいるせいで無闇に叩かれてて可哀想なのがなりくん。甘えてるどころかどちらかというとクリス・デイヴを連れて来たり『パクチーの唄』を完成に導いたりとヒカルの周りにいる人の中では抜群の貢献度だったりするのにね。持ち前のビッグマウスと自分のラジオでも披露していた配慮という概念が存在しない喋りが非難を招いてるんだとしたら自業自得ではあるんだけども…。まぁ彼もヒカル同様「でも歌うまいやん」の一言で色々と解決していきそうなので、そう悲観はしていない。

あと、多分EMI時代から一緒にやってる人達は従来通りだと思う。新譜発売時のプロモーション手法なんかは安定して効果的。だからそこも心配しなくていいハズなんだけど…やっぱり『ほどほど。』が引っかかるんだよな…もう何年前の話だい?

ツアー、しかも全国ツアー、いや国際ツアーかもしれないのにあんなグダグダさを見せられてはたまったもんじゃないからな。この心配だけは杞憂で終わって欲しいと何度も願ってきてるんだけど、まだモヤモヤ感が拭えない。このままいって、最終的に結局『歌はよかったんだけどね歌は…」と言われるようになってたら目も当てられないのだけど、はてさてこの感情をどうやって解決すればいいか、それが未だに見えないんだわ…。