無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

なおみさんおめでとう

先週末大坂なおみ全米オープンで優勝した。それ自体は大して驚きではないが、決勝戦での相手選手セリーナウィリアムズの試合中の振る舞いが話題になっているようだ。

今ならググればまとめは大量に出て来るだろうから詳細は割愛するとして。自分なりにみれば「試合を(中継などで)観ていた人は歴史を見ていないし、歴史を見ている人は試合を見ていない。」という感じがする。電子マネーと現金、電子書籍と紙書籍みたいに両方見ればいいの思うのだけど、なぜか陣営を作って争いたいらしい。スポーツみたいにゲームとして争うなら楽しいと思うが、言論が闘争になっていくのはアートの敗北なのかもしれない。討論てのも物騒な字面をしているが今は闘論て感じだね。争わなくていいのに争っている。きっとみんなそれが好きなんだろう。「実際のところどうなの?」を知りたい向きにとってはその殆どがノイズなんだが。

音楽に真実を求めるヒカルの態度はアート側からの模範解答だ。葛藤や苦悩が無くなる訳ではない(寧ろ増す)が、陣営同士の争いではない営みで人は過ごせる見本である。誰かと争わなくても毎日鼻歌でも歌っていればそれで楽しい…そう書いてしまうと厭世的かもわからないが、世界に憎悪するよりかはマシだろう。キャンクリやグッハピや初恋のように「どちらとも取れる」歌詞を書くのも、真実への追究の一環だ。今はちょいと茨の道だが、次第に落ち着いていくだろう。人種差別や性差別の問題は、テニス選手に限らず、地球規模で活躍する歌手にとっても降り懸かってくる問題だ。その中にあっても真実追究の手綱を緩めないのであれば大したものだ。来年の活動が少し楽しみである。と言ってもまだ何も決まってないけどなっ!

ロシアよりスコットランド(へ)

難しい時期なんだよね。脳には慣性があるからその時に興味と関心が向いたものからなかなか抜け出せない。今週は金曜日からツアーチケットの一般販売抽選申込受付が始まるタイミング。ヒカルから何かそろそろメッセージがあるかな無いかなとか考え始めてしまうとわからなくなってしまう。

“Laughter in the Dark”というツアータイトル発表自体がある種のメッセージの発信だと受け取ることも出来るのだけれど今までの実績からするとな。『荒野の狼』は言わずもがな『Deep River』であっても遠藤周作の「深い河」を読んだからどうだったかと言われたら…あれはあれでよく出来た作品でしたね、としか。ポーの「大鴉」が『Kremlin Dusk』の理解への手助けになったかといえば、なってないし。私の理解能力が足りていないと言われてしまえばそれまでなんですが。

という感じなので、今回も単なる“新しい読書の切っ掛け”として利用させて貰おうかなという程度でいる。きっと裸婦抱くを、日本語訳だと邦題が「マルゴ」とかか、読んでも読まなくてもコンサートの楽しみ方に大して違いは出ないだろう。おっさんが少女に人生狂わされる話(と既に小説冒頭で断言してはった)がどう宇多田ヒカルのライブと繋がるとかいうのか。多分何の関連もない。

それより寧ろ、ヒカルが心底敬愛するスコットランドコクトーツインズの頭脳であったロビン・ギャスリーが自らのソロ作品で“Laughter in the Dark”というインスト曲を書いているから、それをチェックしておく方が有意義だろう。もし万が一コンサートのオープニングSEがこの曲だとしたら…自分の知ってる曲を聴きながらコンサートの幕開けを待つだなんて結構興奮するんじゃない? 確かUTADAの公演前にもコクトーツインズかかってたハズだから、ないとは言えないと思うよ。