無意識日記々

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Her Sci-fi second verse takes us our second birth !?


「EIGHT-JAM」は話の構成も素晴らしかった。みなさんお馴染み『One Last Kiss』でA.G.Cookがやらかしたエピソードから「セカンドバース(2番Aメロ)」をキーワードにして流れるように『道』の『調子に乗ってた時期もあると思います』についての質問へ。自分も観ながら「なるほどこのあと『道』の話に繋げるのだな。上手いな。」と思いながら見ていた。そう、ヒカルさんの歌詞の口調、急に変わるよね。最近ではこれに更にブーストが掛かっている。


例えば、『BADモード』。1番Aメロ(ファーストバース)では


『いつも優しくていい子な君が

 調子悪そうにしているなんて

 いったいどうしてだ、神様

 そりゃないぜ』


と歌っている。1番Aメロ最後で『そりゃないぜ』とそこまでからはあまり想像がつかない語尾が来てて「2番Aメロまでは同じ口調だろう」と油断したリスナーに対して早くも先手を取っている。もう既に見事なものなのだが、そこからの2番Aメロが更にエグい事になっているのは皆様もご存知の通り。


『メール無視して ネトフリでも観て

 パジャマのままで

 ウーバーイーツでなんか頼んで

 お風呂一緒に入ろうか』


1番の歌詞が描くシチュエーションは「人と人」だった。『神様』にも呼び掛けてはいるけれど、基本的にはヒカルさんがリスナーに、或いは想い人(親友でも息子でも)に優しく話しかけるという“舞台設定のつもり”でこちらは歌を聴いていた。そこにいきなりメール/ネトフリ/パジャマ/ウーバーイーツ/お風呂と、「目に見えるモノの名詞」を連発して視覚的に訴えてくる。「人と人」から「モノとモノとモノと…」への転換。小説でやられても面食らうヤツである。


番組内でヒカルも言っていたように、2番Aメロというのはリスナーが最も油断している時間帯だ。サビの高揚感が落ち着いて一息つく、というのと、無意識裏に「次はまたさっき聴いたAメロと同じようなメロディと歌詞が来るだろう」という予測をするからだ。一息と予測。これを見逃さずにヒカルは言葉を畳み掛けてくる。ここに至るのは、先ほど述べたように『そりゃないぜ』が利いている。宇多田ヒカルに慣れたリスナーは、ひとつの曲の中であちこちに揺さぶられるのに慣れているから、この曲ではなるほど、思いやり溢れる優しいヒカルさんと、守ってくれる頼もしいヒカルさんのギャップを振り幅にしてるんだなと何となく思わせてからのネトフリとウーバーイーツなのだ。横の振り幅に身を委ねていたら縦の落差にいきなり翻弄されるような。もっと抽象的な空間(君と僕、私とあなただけの、背景に何もない場所)に居ると思ってたのに気がついたらリアルな部屋に居た!? 斯様な場面転換が自由自在なので、タイムスリップやテレポーテーションのような感覚を与えてくれる歌詞になっている。


まぁ、しかし、『BADモード』の恐ろしさ、真骨頂は更にここからだよね、これも皆さんよくよくご存知の通り。優しさとかっこよさの振り幅、急な場面転換の落差ときて、さぁ2番サビが来るのかと身構えるそのほんの僅か前に急にリズムがフェイドアウトしてアンビエント・パートに1分間突入する。おかしい。もう2年以上前の曲だけど、どう考えてもおかしい。タイムトラベルやテレポーテーションならまだ「この世界」の中で移動している感じだが、このいきなりのアンビエント突入は最早異世界転移・異世界転生だよね。気がついたらエルフの里の最奥地の泉のほとりに放り出されてたみたいな、そんな感覚に陥ったよね。


「優しさ」から「カッコよさ」へ


「人と人」から「モノとモノ」へ


「この世界」から「異世界」へ


と、それまで暗黙裡に前提とされていたものが悉く突き崩されて新しい世界へと誘なってくれる…ふむ、後付けも甚だしいけれど、ヒカルさんの書く歌詞が「SFっぽい」というのは、こういう見方で見直してみればなるほどと唸らざるを得ない。今まで思いもみなかった視点/価値観/世界観をみせてくれる事こそ、SFの醍醐味ですからね─と、星新一筒井康隆小松左京を(それぞれほんのちょっとずつ)読んで育った身としては今更ながらに痛感するのでありましたとさ。