無意識日記々

mirroring of http://blog.goo.ne.jp/unconsciousnessdiary

7月5日生まれと9月5日生まれ

昨夜フレディ・マーキュリーを見ながら、「何となく藤圭子に似てるな〜」と思った。顔の造作やら振る舞いやらファッションセンスやら、どのレベルでかはわからないが、どことなくというか何となくというか。

光の発言から憶測するに、無理矢理共通点をみつけるとするならば舞台に立つと完全に"その人"に成りきってしまうプロフェッショナリズム、だろうか。舞台人としての母の背中を見て育った光は、しかし、(もう5年前の番組でだが)パフォーマとしてのペルソナだけ成長が遅い事を気にしていた。

WILD LIFEをみれば、ライブパフォーマとしての成長は如実にわかる。しかし、そこにはフレディのようなエンターテイナーとしての求道者精神はあまり感じられない。藤圭子の舞台上での振る舞いはよく知らないが、歌う事への集中力はピカイチだったような印象がある。光の、尊敬する2人と比較してのライブパフォーマぶりは、どこかベクトルが違う雰囲気が漂う。

"魅せる"、その意識の差だと思う。どうだ、というこの感じ。人を寄せ付けないような矜持に満ちた態度が、光には薄い。舞台にあがったフレディは遠目に眺めている分には素晴らしいが、そのままの人格と友達になりたいかと問われたら、なんだか設問自体からしてこそばゆい。しかし舞台の上の光は何だかんだで"いつものひかるちゃん"である。非日常に連れて行くような芝居がかった風味は感じられない。私は私。そう思っているのだろうか。こちらもそれを求めているからそれでいいんだけれど。

だとしたら、早朝にクイーンのライブビデオを見ながらフレディの名を叫んでいた光は、そこに何を見ていたのだろうか。自分にはないものを賞賛する気持ちか、憧れか、尊敬か、同感か。好きなのはわかるけれども他の影響に較べてなんだか位置付けがわかりづらい。疑似恋愛の対象という訳でもなさそうだし。しかし、何らかの意味でそこに母に似た影を見ていたとすれば、あのハシャギぶりもほんの少しだけ合点がいくような気がする。だけど、やっぱり相変わらずどこがどう似ていると感じたのか、説明できないんだよなぁ。似てるかこの2人?