無意識日記々

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ヒカルトヒカク

あんまりにも光の歌声に浸り過ぎているとしばしばその圧倒的な歌唱力の恩恵を忘れる事がある。慣れとは怖いもの。そんな時には、例えば光が他のシンガーとコラボした時の音源を聴いてみる。椎名林檎にせよ大黒摩季にせよ当代随一の歌唱力をもつシンガーとして認知されていると思うが、それでも光が歌い出した時の空気の変わりようといったらない。いやここまで違うもんかね。

また、カバー音源を本家と聞き比べるのもよい。多くのカバーが非正規音源なのは残念な限りだが、光のアプローチのうまさ、というか真っ直ぐさは鮮やか極まりない。近作では愛のアンセムがあったが、しかし、ここでは歌唱力云々を云われる事は少なかった。CMのビジュアルから入ったから、というのも大きかったけど。そういや最初期なサンプルについていたあのイントロ、アルバムでも結局入ってなかったよな。どういうことだったろう。それはさておき。

WILD LIFEでの愛のアンセムを聴いた時、その歌唱の素晴らしさに誰もが驚いた筈だ。伸びやかに素直にメロディを歌うというだけでこんなにも違う。ひらたくいえば、スタジオバージョンを歌うより遙かに簡単な為、歌唱に余裕があるのだ。それだけあのSpainとのマッシュアップには"無理"があったのだとも言える。

実現する望みはほぼないが、あのWILD LIFEバージョンを今年のペプCMに使ってもらえれば、ヒカルの「歌がうまい人」という定評は更に硬いものとなるだろう。昨年のジャジーなイメージとの落差だって大きい。今のCM技術は死んだフレディにカップヌードルを賞賛する歌を唄わせられる位だからWILD LIFEの映像を加工する位わけはないと思うのだが。

歌が始まった瞬間に空気感を変えられる力は、CMのような瞬発力の必要な空間では非常に欲せられる。今の所TVCMの15秒、或いは30秒の枠でアピールすればいいが、Web上でCMを流す場合この長さは長すぎる。スキップする位なら見てやるか、という秒数、5秒とかそんなもんだろうか、でインパクトを残せないと効果があらわれないだろう。これだとサウンドロゴのサイズにしかならないが、声自体の個性はそういうケースで非常に重要となる。特に、他のCMが溢れ返る中だと尚更だ。

そういう意味では、チャリティーソングのような企画に光が参加したらどんな感じになるだろう、とはよく思う。We Are The Worldみたいなやつね。なんだか、あいつの後には唄いたくないからとアウトロのフェイク担当になってしまいそうな気がするが、ヒカルはそもそもその手の企画に参加しそうな風合いがない。それというのも、このエントリのように「他の歌手と比較して云々」なんて野暮を云われてしまうから、だ。いや勿論それが主たる理由ではないだろうが、そういう要素も含んでいるのは確かではないか。光の歌は光の歌単独で堪能すればよい。それで感動できるのなら、その圧倒的な歌唱力の恩恵くらい忘れてしまってもどうということはないだろう。あれこんな結論でいいのかな。ま、いっか。