無意識日記々

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バラード・バランス

SAKURAドロップスの、LIVEにおけるアーティスト側としての扱いはWILD LIFEで見た通りだ。UU06ではフルバンドで演奏された曲がこちらでは弾き語りメインに、いわば"降格"している。

これは非常にシンプルに、UU06時点では世に出ていなかった曲、Flavor Of LifeがFirst Loveと居並ぶ、或いはそれ以上の扱いで歌われているからである。バラード・バランスの話なのだ。

実は、First Loveが最も人気の高いヒット曲である宇多田ヒカルにおいて、いや、バラード・ソングであるFirst Loveの人気が突出していたからこそ、かもしれない、宇多田ヒカルにはバラードのヒットソングが案外少ない。

それは、Give Me A ReasonやEternallyがシングルカットされなかった事もあったし、FINAL DISTANCEが特殊な扱い(TVでのプロモーションがなかった)だった事もあったし、誰願叶やBe My Lastが売れ線から大きくハズれてたのもあったりで、何かとバラードが前面に押し出されてこなかった為である。

そんな中、唯一といっていい、正面切ってシングルカット(先行)されたSAKURAドロップスは、宇多田ヒカルの新しいバラードヒットとしてある程度位置付けられてきた訳だ。初週で40万枚売ったパワーは、Lettersの力も勿論あるが、アルバムの1曲目を堂々と叙情派で攻めてきた事は象徴的だったのだ。

それが、FoLBVのお陰で、結構自由になった。あの大人びた編曲は、そういった新たな代表曲を見守れるような、少しリラックスした大人の立ち位置を象徴していたような気がする。

これはUtaDA In The Fleshについても同様で、他にApple And CinnamonやThis Oneといった叙情派の名曲があったからこそ、SAKURAドロップスは弾き語りメインの位置付けで歌う事が出来た。

多分、Stay Goldの歌詞のように、お姉さんが次の若い子たちを見守るような感覚で、SAKURAドロップスは歌われている。あのメロディーの変更やアドリブの方向性は、そういう観点から聴き直してみると、より説得的に響いてくると思うんだが如何だろうか。