無意識日記々

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何故かヒカルとあんまり関係ナイ話。

アニメシュタインズゲートですっかりお馴染みになった(?)CERNが(SERNじゃないぞ)、13日に重大発表をするらしい。ヒッグス粒子の発見が本当だとするとこれは21世紀最大のニュースとなる。詳しい話は私も解らないが、重力の量子化は現生人類最大の難関でありこれを成し遂げた時の影響は計り知れない。原子力位で戦いていられなくなるかもしれない。

人類の歴史は予測不可能だ。未来に保証なんてない方がいい、というがそんなものある訳がない。たまたま、幸運な偶然が重なって平穏な人生を送れるだけである。重力の量子化を成し遂げれば、どんな兵器が開発されるかわからない。核抑止力も過去のものになるかもしれない。というか、地表が禿げたりして。いずれにせよどんな知見が得られるか未知数なのだから今から言える事なんてない。ただ漠然と言えるのは、人類が新しく"力"を手に入れるだろう、という事だ。まぁでもそんなカンタンにうまく行くとは私は思わない。彼らは間違った方向を向いているからだ。まぁそれはいいや。

翻って。音楽は"無力"の象徴だと私は思っている。音楽に携わる仕事をしている人はどうしても音楽に"社会的意義"を見いだそうとする。気持ちはわかる。震災の時も多くのミュージシャンが自分たちに何が出来るか、自分たちは今何をすべきかと苦悩した。烏滸がましい。何も出来ないに決まってるじゃないか。音楽家が実際にやっている事は、空気をちょっと震わせているだけだ。音波のエネルギーとは微々たるもので、それ自体は何の仕事もしない。極稀に共振・共鳴によってエネルギーを集約する事もあるが、それには固有振動数がばっちり合わなければいけない。音楽は、何もできないのだ。

しかし、音楽で稼いだお金でヒカルは100万$の寄付をした。恐らく、これは役に立つだろう。斯様に"間接的に"なら音楽は仕事が出来る。それには人の心が不可欠なのである。

火を消すとか病気を治すとか飯を炊くとか道を舗装するとかは総て自然に働きかける行為だ。だから実際にエネルギー、即ち仕事をする能力が必要だ。しかし音楽家は前述の通りちょっと空気を震わせているだけなのだから、一体これは何故世界のありようを変えているのだろう。もしかしたら何かが変わっているという幻想を振り撒いているだけなのか?

いやいやいやいや、そんな事はない。今や宇多田ヒカルがキッカケで出会って結婚して子供生んで育ててる人なんてザラだろう。彼らは、ヒカルが歌を唄わなければこの世に存在しなかったかもしれないのだ。彼らのうちの誰かは、今後人類の歴史を大きく変えるかもしれない。そうなるとその人の伝記の最初には「両親は宇多田ヒカルが縁で結婚し―」と必ず書かれる。ヒカルの歌が歴史を大きく変える"力"を生み出すのである。

それでもしかし私は、それによって音楽に力があるとは云いたくない。音楽自体は相変わらず何もしないのだ。動くのは人であり、歴史を変える力を持つのも人だ。音楽はどの時点でも相変わらず無力のままだ。

いや、私は音楽に"無力のままであって欲しい"と願っているのかもしれない。そのピュアネス、イノセンスこそがいいのだと。確かにそれはある。しかしそれ以上に、無力が力を生む不思議と常に相対していたいのだ。無から有が生まれた時、真っ先に現れた力が重力だった。その姿がヒッグス粒子なのだ。無から有が生まれる瞬間、それはビッグバンにまで遡らずとも、歌を聴いた人の心の中で毎日起こっている筈である。彼らは、この点を見落としているからまだまだ真実には辿り着けないだろう。まだまだきっと先は長いぜ。