無意識日記々

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ポート

【久しぶりの大事なおしらせ】によると、今は『「休養」でも「充電期間」でも無い』という。どうにもここが引っかかったままである。

直後に書いてある、『新しいことを勉強したり、この広い世界の知らないものごとを見て知って感じ』る時間とは、まさに世間でいう「充電期間」である。13年間ずっと音楽で放電、即ちアウトプットを続けてきたのだからここらで充電、インプットをしよう、と。極めて普通の話であって、お馴染みの"人間活動"というキーワードを持ち出してくる必然性に欠ける。

電気は放電するか充電するか蓄電するかしかない。これが"「充電期間」ではない"というのなら、蓄電か放電である。

蓄電、つまり電池の意義は、電圧を時間と空間を超えて利用できる事にある。勿論最初に電圧(電位差)を作り出さねばならないが、そうやって作り出した電圧を化学的に隔離して携帯しいつでもどこでも電気を利用しようというものだ。ポータブルなのである。

光はもしかしたら、何かの才能なりアイデアなりを、時間と空間を超えてポートしたいのかもしれない。インポートでもエクスポートでもトランスポートでもいいが、今まで築き上げてきた何か、それは音楽的業績でもいいし知名度でもいいし市場の評価でも資産でも人間関係でもいいが、ありていにいえば何かやりたい事の為の"時間稼ぎ"、或いは"空間的移動"が人間活動(のうちのひとつ)なのではないか。充電でも放電でもないのなら蓄電なのだ。

放電、というからには電位差のある所同士が繋がって電流が流れなければならない。ただ電子を吸収しようとしても、どこか電子のある所が必要だ。放電には必ず相手が要るのである。今の所、公表される形で光の人間活動中の"放電"を知れた例は殆どない。目立つものといえば100万$の寄付行為くらいだが、いちおうこれは後から起こった事態に対するリアクションであり、昨年8月時点の考慮の対象ではなかった筈だ。

光が今何か放電を行っているとして、日本でそれを知られないのは無理である。ちょっとお店に入っただけでツイッターで呟かれ拡散される時代である。とするとやはり、光の名を知らぬ国のどこかで活動してるのかなぁ、というありきたりの結論にしかならない。光は今何してるんだろう。別に今は報告してくれなくてもいいから、時間が経ったあとに何かきければいいな。人間活動の成果こそ、時間方向にポータブルであって欲しいものである。