無意識日記々

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初心に還って歌詞を"読む"

時々忘れそうになるが、ヒカルの作詞術でいちばん凄いのは今見ている最中の複雑極まりない音韻構造そのものではない。それだけの音の縛りを受けながら、歌詞がちゃんと意味の通る文章になっている所が圧倒的なのである。この凄味ばかりは、説明しようにも難しい。

一歩引いて考えれば、若い男の子が誰かを慕い続けている事やその情熱の大切さを歌うのに、意味が通ればいいのであればこの歌詞である必然性はない。例えば"少年"は"男の子"でも構わない。実際Goodbye Happinessでは『寂しそうな男の子』と歌っている。"ずっと"や"いつまでも"も、"永遠に"とか"延々と"でもいいし、歌詞としての体裁を気にしなければ"永続的に"だろうが"恒久的に"だろうが何でも構わない。そういった選択の中で、複数の(今までみてきたように、それは2つも3つもあるのだ)音韻上の要請を満たすように言葉を嵌め込んでいくこのセンスと忍耐力に驚嘆するのである。


さてそういう時に気になるのが、「じゃあいったい、この作詞という作業はどこから始まっているのだろうか?」という点だ。音韻上の要請を辿っていくと、どこかしら行き止まりにぶち当たる事が期待される。

しかし、ヒカルの場合その要請が複数ある為、辿っているうちにグルグル回り始めてしまうのだ。しょうねんからじょうねつに行っておとうさんに行って、いやおとうさんはおねだんからも韻を受け取っていて…とキリがない。

となれば、ここは初心に還って、歌詞の意味において「ヒカルがいちばん言いたかった事」を見いだすのが起点探しの近道といえるかもしれない。Be My Lastでいえば、『かあさんどうしてそだてたものまでじぶんでこわさなきゃならないひがくるの』にあたる文章だ。

まず目を引くのは、そりゃそうだよね、"keep tryin', tryin'"である日本語でいえば「頑張れ」だ。一応、ヒカルなりの応援歌なのだから、まぁこれはわかりやすい。Good LuckでもFightでもなくKeep Tryin'な所がヒカルの特徴といえば特徴だ。

ただ、普通に"頑張れ"だけでなく歌詞に"try"の意味を持たせたかったのだろうというのは見てとれる。『挑戦者のみ貰えるご褒美欲しいの』の一節にそれは顕著だ。

ではこの一節がその"捜し求めるキーセンテンス"なのかというと…この話の続きはまた次回。