『どんぶらこっこ
世の中 浮き沈みが激しいなぁ
どんな時でも
価値が 変わらないのはただあなた』
前回のエントリーを踏まえた上でこうやって歌詞を眺め直してみれば『どんぶらこっこ』が何故登場したのかがわかる筈だ。
まず先に『どんな時でも価値が変わらないのはただあなた』というキーセンテンスが存在する。なれば、そこへの導入部分はどうあるべきか。光が考えたのは対比と対応の2つであった。
まず対比。これは、意味上の対比である「どんな時でも変わらない価値(であるあなた)」との対照、コントラストを形成するのは何か。うつろいやすいこの現実だ。いったい、その現実を、絶え間なく変わりゆく世界を、どういった言葉で表現しようか。ヒカルは頭を捻ったのではないか。
一方で、対応も考えなくてはならない。こちらは、音韻上の対応である。『どんな時でも価値が変わらないのはただあなた』の部分は出来ている。さて、その前段ではどんな韻を踏んでおけばいいのだろうか。
音韻の効果とは。韻を踏む事で人の耳はリズムに乗せて言葉をするりと飲み込む事ができる。そうする事で、新しい文脈に辿り着けるのだ。ヒカルの書く歌詞の場合、意味上での繋がりもしっかりしていて韻まで踏むものだからそれはそれはキョーレツなメッセージになりえる。
ヒカルが挙げ句に選択したのが、「変わらない価値であるあなた」と対比して「浮き沈みの激しい世の中」だった。これさえ決めれば、歌詞はある程度までは乗る。メロディーは途中から異なる方向に推移するから、『変わらないのはただあなた』の部分は韻を踏まなくて構わない、なんとか『どんな時でも価値が』までを揃えよう、、、
ヒカルは頭を抱えたことだろう。『も価値が』の所に『世の中』を宛てる所までは出来た。[mo-ka-chi-ga]と[yo-no-na-ka]なら悪くない。頭とお尻の母音は同じだし、[g]と[k]は濁音の関係にある。ここはこれでいける。しかし、、、『どんな時で』の部分に何を当てはめればいいのだ? この後『浮き沈みが激しいなぁ』と続けるんだから、何か波瀾万丈をイメージさせて、それでいて『どんなときで』と出来れば韻を踏み合うことば…
ヒカルはそんな風に考えて『どんぶらこっこ』に到達したのではないか、そう私は夢想する。変わらないものとの対比として浮き沈みするような何か、そして[donnatokide]という音に対応すれことばとしての[donburakokko]。[don]と[a]と[k]が揃っているとなれば、ヒカルはこれだと決断できたと思われる。まぁそれにしたってやっぱりエキセントリックなチョイスである事は間違いないけれども。